私は、1年半ほど前に、流産によって一つの小さな命を失いました。第一子を体外受精によって授かり、今回は、第一子のときに凍結保存をしておいた受精卵を体に戻し、着床、妊娠しました。しかし、その後、受精卵の成長が止まり、心拍も確認されず、流産しました。多くの祈りと御言葉に支えられて、この時を用意されたにもかかわらず、信仰の薄い私は、祈りを聞いてくださらなかった神様に「神様なんていない!」と叫びました。そのような中、QTによって神様がくださった御言葉が「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である』」(Ⅱコリ 12:9)でした。新しい命は与えられませんでしたが、今私に与えられている恵みがどれほど愛おしく大切なものであったのか、気づかされました。そして、優しい夫とかわいい娘、大切な人たちとの幸せな日々に、改めて目を向け、感謝することができました。 最初の娘を授かるときも、教会の先生をはじめ、多くの兄弟姉妹の祈りがありました。しかし、当時の私には命を授かることが神様の御手の中にあることがわからず、兄弟姉妹の神様への尊い祈りは、私への応援としか感じていませんでした。そして、娘を出産すると、私の足は教会から遠ざかり、神様を見上げることはなくなり、聖書を開いて御言葉に聞くこともなくなりました。1年ほどして再び教会へ行くようになりましたが、実はその時も多くの祈りによって導かれていました。今回はこの世に生まれてこなかった命ですが、その命をお腹で感じ、その命のために必死で祈った時間、失った命と向き合って気持ちを整理した時間は、私にとっても、また家族にとっても、神様が与えてくださったかけがえのない恵みです。 第一子を授かり、健康に産むことだけでは知ることができなかった命の本当の尊さ、すべてを神様に信頼して祈る、神様への謙遜な態度が与えられました。祈りが聞かれなかったのではなく、神様はもっとも良い方法で、私を母として、そして神様の子どもとして成長させてくださいました。これからも神様がQTを通して語ってくださり、私の心をいやし、励まし、強めてくださることを信じ、神様に感謝と喜びをささげる歩みとなりますように願っています。
渋谷由美 Ι 清水シャーロム教会
|