ワシントン・インターナショナル日本語教会 担当牧師 西郷純一
ワシントン・インターナショナル日本語教会は、アメリカの首都ワシントンの郊外、メリーランド州ロックビルにあります。隣接のバージニア州北部とワシントンD.C.を含む「ワシントン首都圏」の日本人人口は、1万人を超えると言われています。2000年秋、私たちの教会(当初ワシントン・アライアンス日本語教会)は5人のの開拓メンバーで「米国アライアンス教団」の英語教会の一室で誕生しました。 私ごとではありますが、日本で10年ほど仕えた後、32年前に、5年間の留学のつもりで、必ず帰国すると誓って家族と共に渡米しました。しかし、摂理のうちに長期滞米に導かれ、1991年にプリンストン日本語教会(ニュージャージー州)、1995年にニューヨーク日本語教会、そして、前述のように現在のワシントンの教会開拓に携わることとなりました。 神様は、最初の開拓地プリンストンでの初期に、その後のアメリカにおける全ミニストリーの基盤となるビジョンを与えてくださいました。4名でスタートしましたが、間もなく、あるクリスチャン・ホームが加えられました。彼らは人間的に「当てにできる」メンバーで、長期滞在も期待できましたが、その家族が、一年足らずで突然ご主人の仕事の都合で引っ越すこととなりました。それには教会も私も大きなショックを受けました。しかし、その時、神様は私に示されました。「聖書のどこを見ても、神様は大きい教会を作れとは言っておられない。私の使命は、人々に福音を伝え、イエス様へと導き、彼らを弟子として育て、訓練し、日本に、また世界の果てに遣わすことだ」と。その日から「遣わす教会」を目指して歩んできました。このことは、ワシントンで受洗され、今は西海岸に移られた一人の婦人が残した言葉により、更なる確信を得ました。彼女はこう言いました。「私の祈りは、この教会が大きくなることではなく、強い教会になることです。」 ここで短く、15年の教会の歩みを振り返りたいと思います。開拓4年後の2004年に、日本人の店が数件ある現在のショッピングセンター内の店舗に礼拝堂を移します。日本人コミュニティーの中心に出て行くのが目的でした。この場所は、『地球の歩き方』のワシントン版で「ワシントン日本人村」として紹介され、私たちの働きも写真入りで掲載されています。移転と同時に、教会のアウトリーチの働きとして、「ジャパニーズ・クリスチャン・コミュニティーセンター」を併設してスタートしました。このプロジェクトの目的と基本理念は、①すべての人に対し、すべての人のようになって福音を伝えること(Ⅰコリ 9:19~23)、②人々が来るのを待つのではなく、「出て行って」福音を伝えること(マコ 16:15)です。毎週のプログラムとして、英会話教室、母と子の教室、日本語教室のほか、月例、もしくは単発的に、各国料理教室、健康・美容・教育などの各種セミナーを開催しています。どのクラスにも20分ほどの「チャペル・タイム」があり、伝道メッセージが必ず語られます。一番多い時は70名近く、当時から比べるとかなり少なくなった今でも30名以上の人々が、毎週福音を聞いています。チャペルから一歩進んで、聖書の学び会、さらに礼拝に出席し始める方も起こされました。当地にいる間に入信された方々もおられ、求道者として帰国、その後日本で入信された方もおられます。 当教会のより大きなコミュニティーとの接触として、アメリカ最大の文化祭典ともいわれる「全米桜祭り」への参加があります。過去13年以上にわたって、教会を代表して私が日本語と英語で祈りのご奉仕をさせて頂き、今年はついに、毎年4万人以上が参加する同祭典のフィナーレ的イベント「ストリートフェスティバル」に、教会として「和服の着付け」を大きな目玉に出店しました。そこで、近隣の3つの日本語教会の案内をカバーに刷り込んだ「日本に残された神の指紋」というDVDをはじめ、さまざまな印刷物や読み物を配布しました。 最後に、教会そのものの発展について記したいと思います。私たちの教会は、2008年秋からバージニア州北部に、WIJC「バージニアチャペル」として開拓を始めました。聖日夕方の教会学校、礼拝、平日夜の聖書の学び会などを行っています。また、3年ほど前に、教会の通称名を「ワシントン・インターナショナル日本語教会」と改名しました。アメリカにある日本語教会として、英語を媒体とした「インターナショナル」的要素は、その建設ビジョンに不可欠だと思ったからです。現在、メリーランドチャペルには25~30名、バージニアチャペルには15名ほどが参加しています。将来、児童教育とお年寄りのケアを一体化した「コミュニティーセンター」を基盤とした教会建設が、今私たちに与えられているビジョンです。
西郷純一 1974年、日本宣教会久我山教会、牧師。1991年、米国プリンストン日本語教会、1996年、ニューヨーク日本語教会を開設して牧師を務める。2000年、ワシントン・インターナショナル日本語教会(旧ワシントン・アライアンス日本語教会)を開設し、牧師として就任し、現在に至る。
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