私はクリスチャンの主婦です。QTを始めた頃は、その日のみことばを読んで心に残った文章に線を引くくらいでした。QTに真剣に取り組むようになったのは、数年前に心身の不調と信仰上の試練が重なり、いつの間にかイエス様を見失っている自分に気づかされた時からです。そんな時期にQTの分かち合いの場で、「あなたは、神様に聞くことができていませんね」と優しくご指導いただき、はじめて神様に「問う」ことと、神様に「耳を傾けて聞く」ことを教えていただきました。「イエス様、これはどういう意味ですか。なぜ、こうおっしゃったのですか」と問いながら、その日のみことばを読むと、自分勝手な解釈に陥らないようにと注解書や聖書講解書にも導かれていきます。また、『リビングライフ』の「一目でわかる聖書」は私にもわかりやすく、毎月最初に感謝しながら目を通しています。また、毎日の黙想と適用の質問は、イエス様が私に「あなたはどうなのですか」と尋ねておられるように感じます。避けて通り過ぎたい質問が多くて、正直に答えるのがしんどいこともありますが、悔い改めに導かれることばかりで、本当に感謝しています。 マルコの福音書が『リビングライフ』のQT個所になったとき、15章34節の「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という一節を黙想する中で、ひとり娘の母親である私の心に、尊いひとり息子のイエス様を私のために与えてくださった天のお父様の御愛が迫ってきました。「神様、私には信じられません!なぜ絶望するしかない私のために、大切なひとり息子のイエス様を見捨てられたのですか。天のお父様、信じられないほどのお父様の御愛を信じたいと思います」と涙とともに告白が与えられ、天の父なる神様を心から「天のお父様!」と、いつまでも呼び続けたいと思いました。 昨年、ある歳を召された牧師とお会いする機会が与えられ、そのとき「どの教派教会に属していようとも、しっかりイエス様につながっていればよいのですよ」という言葉を聞き、心に響きました。イエス様と深くつながりたいという切なる願いを持ってQTを続けています。ひとりのときも、だれかと会うときも、イエス様と一緒に、きょうという日を過ごせますように。
安藤真理 Ι 日本キリスト改革派 北神戸伝道所
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