私は新米牧師ですが、牧師になる前に持っていた立派な牧師像と現実の自分の姿にギャップを感じていました。いつも聖霊に満たされているというよりは、自分は正しく牧会しているかという不安な日のほうが多かったのです。 そんな私にとっては、朝のQTの時間は毎日励ましの連続です。やはり、みことばには力があります。みことばを素直に受け取り、心を入れ替えて一日を始めると、神様に守られていると実感します。 ある朝のQTの個所は、ヨハネの福音書6章でした。五つのパンと二匹の魚の話です。6章9節で、イエスの弟子のアンデレが、男だけで5千人を食べさせようと促されるイエス様にこう言います。「ここに少年が大麦のパン五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」私はこのような弟子の姿を見ると少し安心します。後に伝道者になる者も信仰の弱い時があることがわかるからです。私にもこのアンデレのようなところがあります。自分にできることはたかが知れていると思い込んでいるのです。翌日、私は伝道対象者と会う約束をしていました。きちんと救いのメッセージを伝えられるか心配でした。自分の実力は五つのパンと二匹の魚ぐらいかと思えました。祈るしかないと思い、祈りました。 翌日のQT個所は、嵐のやみの中で、イエス様がガリラヤ湖を歩かれる場面でした。弟子たちは恐れましたが、イエスは「わたしだ。恐れることはない」(ヨハ 6:20)と言われました。イエスを迎えた船はほどなく目的の地に着きます。私はあれこれ考えるのをやめて、ただ主を喜んで迎え、主について喜んで語ろうと決心し、伝道に出かけました。私の心が平安と喜びに満ちているのを感じました。その日、伝道した方はその場で信仰告白をされました。私は教会に一度でも来てもらえればと考えていましたが、神様はもっと先の目的地に導いてくださいました。私の五つのパンと二匹の魚では役に立たないように思えても、主が私の見えない所でしっかりと働いてくださっているとわかり、励まされました。きょうも御言葉に励まされ、私自身にではなく、主と主のみことばに自信をもって、牧会伝道に励みたいと心を躍らせています。
西山慎一 Ι 八千代オンヌリキリスト教会
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