北九州シオン教会 主任牧師 力丸嗣夫
私は、日本宣教に対して、早くからあるビジョンを持っていました。それは、日本文化(伝統)の底辺に福音の種蒔きをすることです。時間はかかりますが、それが日本を変えるリバイバルの力となると信じます。
① 地を癒す教会を目指す 人口の多い都市には大規模な教会がたくさんできていますが、地方や過疎地域には教会のない空白地帯が実に多くあります。そういう所に行って福音を伝える教会は多くありません。これでは日本は変わらないのではないでしょうか。日本の文化や伝統(異教・偶像)を保ち、都会に出た世代をしっかりつなぎとめているのは、これら農村部です。この過疎地域に福音の恵みと癒しが届けられるとき、日本にリバイバルが起こると信じます。
② 秘められた苦しみを主の癒しで充たす 過疎の村や限界集落には、耳の聞こえない家族、恐ろしい感染病が発病して家から出されず、いつの間にか近所からも忘れられている病人が隠されています。そんな子どもをかかえている親の毎日は、どんなにつらいことでしょう。訪問してみると、しばしばそんなご家族に出会い、悲しみやつらさを打ち明けられます。訪ねて行かなければ、人々の悲しみや苦しみ、救いを求める心の叫びには出会えません。未経験な若者の私には重い働きではありましたが、この働きが私を育てたと言えます。
③ 伝道できる信徒を育てる 私が拠点を置いた町は、人口3万を切る過疎地でした。そこでの働きは、子どもへの福音宣教・聖書の勉強会・礼拝・初心者向け集会などで、それらの定番の働きは最初から立ち上げました。特別伝道集会も行い、聖書を知らない方への呼びかけもしました。町の人々は人間関係でつながっている利点があります。私が月曜日から金曜日まで、福音を届けるために、山村・農村・漁村を一軒残らず訪ね歩いている間、妻は幅広い人間関係を結び、評判のよい主の家を整えていきました。 やがて、信徒たちが訪問伝道に加わるようになり、私と一緒に歩きながらそばで事の次第を見聞きしました。やがて、コツを覚えて彼らにも自信がつき始め、彼ら独自の別行動へと広がっていきました。このような働きの中から6名の献身者が起こり、伝道活動をしています。
忘れられない主のみわざ 48年も前のことです。ある日、町から離れた山奥を訪ねました。電気も通っていない山の頂上付近に一軒家があると、郵便配達人から聞き、一人の人に直に福音を届けたいとの思いで頂上も見えない山に登り始めました。あまりにも時間がかかり、脚は痛み、靴擦れで血がにじみました。途中で葛藤もありましたが、ようやく登り詰めて一軒家にたどり着きました。 聖霊様が用意された耕されたたましいに、福音は干天に慈雨のごとく浸透します。この方々が町の教会に来る機会はありません。あるいは、再び訪問する機会もないかもしれません。愛を込めて救いの恵みを語り、聖書の読み方を簡単に教え、満身の思いを込めて祈りました。名残惜しく腰を上げ、これからも祈り続ける約束をして別れの挨拶をしていると、獣のようなほえ声が聞こえます。急いで追い返そうとする老夫婦を尻目に、私は声のする納屋へと向かいました。そこには40歳を超えた男性がまるで獣のような姿で、幽閉されていました。 老夫婦が涙ながらに「生まれつき耳が聞こえず、手塩にかけて育ててきましたが、幼い頃、恐ろしい皮膚病にかかり、医者にも見せずに隠してきました。ご覧の通り、この座敷牢で生涯を過ごしてきたのです。」泣きながら話す二人を見ているうちに、聖霊様が導いてくださいました。まるで原始人のようで、皮膚病のために全身紫色に腫れ上がっています。警戒する彼に近づき、猛烈な臭気も忘れて、いつの間にか彼と触れ合っていました。静かに座る彼と手を握り、顔を手で包み主に祈りました。外界の人と触れ合ったことのなかった彼が、今イエス様と出会っているという感覚を覚えました。彼の目から涙がこぼれ、汚れた頬の垢を溶かしてヌルヌルとした感触が伝わってきました。彼の手が私の顔を包みました。声も聞こえないし、話もできません。けれども、こんなに心と心が解け合う交わりが今まであったでしょうか。母親に濡れたタオルを持ってきてもらい、母親の手で彼の顔や手を拭いてもらいました。 涙に濡れながらも晴れ晴れとした表情の老夫婦に見送られながら山を降りたあの日が、忘れられません。それから31年過ぎたある日、昔の伝道地を訪ねたとき、この山を思い出し、ふもとの住民に消息を聞きました。老夫婦は亡くなり、その息子のことは知らないままだったようです。家も廃屋となっていると言います。封印されていた昔を思い出し、宣教の原点に立ち返らされ、私の心の奥底に新たなビジョンとそれに向かう熱い思いが湧き上ってきました。
力丸嗣夫 1940年、中国山東省芝罘(現・煙台)生まれ。 北九州大学卒業。中央聖書神学校卒業。1966年、中村(現在の四万十市)福音センター開拓。1969年より北九州シオン教会主任牧師。この間、下関シオン、小倉シオン、直方クリスチャンセンター、海老津シオン等、4つの教会を開拓。著書に『歩いて歩いて福音宣教』(地引網出版)がある。
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