ジョン・ソンミン Ι バンクーバーキリスト教世界観大学院 世界観および旧約学教授
列王記は、神殿の建設から始まり神殿の破壊で終わると言えます。ダビデの生涯の最後の場面(Ⅰ列 1:1~2:11)と、釈放されたエホヤキンについて述べられた最後の4節(Ⅱ列 25:27~30)を除くと、神殿を建てたソロモンの話で始まり(Ⅰ列3~11章)、バビロンの攻撃でエルサレムが滅亡し、神殿が壊され、ユダの民がバビロンに捕らえられていく場面で終わります(Ⅱ列25章)。それで、列王記第二の最後の部分で、神殿が崩され、さまざまな器具が奪われる場面(Ⅱ列 25:8~17)を、神殿の各種の器具を作った場面(Ⅰ列 7:13~51)を回想しながら読むと、その悲しみは一層深く伝わってきます。
神殿よりも王宮? 列王記には、神殿と並んで王宮が取り上げられています。ソロモンの話が本格的に始まるとき、ソロモンが「自分の家と主の宮」が建て終わるまで待ったという内容があります(Ⅰ列 3:1)。この建設作業が終わったという説明にも神殿と王宮は一緒に述べられています(Ⅰ列 9:1, 10, 15)。その後、ほかの国がユダを攻撃して強奪するときや、ユダがほかの国に貢ぎ物をささげるとき、神殿と王宮の損失が一緒に述べられています。「主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り」(Ⅰ列 14:26;15:18参照、Ⅱ列 12:18;14:14;16:8;18:15;24:13;25:9)。 神殿と王宮が一緒に語られているのは、この二つの建物がユダの信仰と政治を代表する建物であることだけが理由ではありません。神殿と王宮は、王が心を注いだ対象でもありました。神殿建設には7年かかりました(Ⅰ列 6:38)が、王宮の建設には13年もかかりました(Ⅰ列 7:1)。これは神殿建設期間の約2倍に当たります。規模もまた違いが目立ちます。神殿は長さ60キュビト、幅20キュビトであったのに対し(Ⅰ列 6:2)、王宮は長さ100キュビト、幅50キュビトで、主の宮の規模の約4倍を越えています(Ⅰ列 7:2)。ソロモンは神のための宮よりも自分のための王宮建設にさらに力を入れたのです。 神殿建設の後、王宮に住んでいた王が偶像礼拝に陥っている頃、神殿は壊されました。アハブの娘アタルヤがユダを統治した後(Ⅱ列 8:17~18, 26;11:1~3)ヨアシュが神殿を修理し(Ⅱ列12章)、ユダを極端な背教に導いたマナセの統治の後(Ⅱ列21章)、ヨシヤは神殿を修理しなければなりませんでした(Ⅱ列22章)。不完全な礼拝により神の家が壊れることはありましたが、王宮は全く壊れず、よく保たれていたようです(Ⅱ列 20:13参照)。神が住まわれる宮よりも、自分の住む王宮のほうが王にとって重要だったのです。
神殿のまことの意味 しかし私たちは、自分の宮ではなく、神殿をよく点検し、守らなければなりません。これを適用するためには、神殿の意味を正しく把握する必要があります。私たちが聖日に礼拝をささげる教会の建物は主の宮ではありません。「神殿」と訳された表現は、もともと神の家を意味します。つまり、本質的に神が住まわれる所が神殿なのです。実際ソロモンも、宮の奉献式で、次のように祈りました。「神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです」(Ⅰ列 8:27)。最上の木材レバノン杉を材料とし、内部をすべて金で覆ったとしても、それは人が建てたものにすぎず、神は建物に収まるような方ではないということを、ソロモンははっきりとわかっていたのです。 イエスはご自分のからだを神殿だと言われました(ヨハ 2:21)。そして今ではイエスの共同体がキリストのからだであり神殿なのです(Ⅰコリ 12:27)。このような事実を知らずに教会の建物を神殿と呼ぶことは“無知”です。しかし、イエスの共同体こそ神殿であると知っていながら、建物を建てることに心を注ぎ、聖徒の時間やお金を使わせて建物を建て、それを神殿と呼ぶなら、それは“霊的な詐欺”です。そのように無知と偽りによって建てた建物は神の神殿ではなく、だれかの王宮にほかなりません。神はご自分の御名が軽んじられることを甘受してでも、そのような王宮を捨てられるでしょう(Ⅱ列 23:27)。「バビロンの王の家来、侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた」(Ⅱ列 25:8~9、マコ 13:1~2参照)。永遠に残る共同体を建てましょう!これが、列王記が今日の私たちに与えているチャレンジなのです。
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