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教会成長のための牧会戦略
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メディア時代の福音伝道 |
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オンヌリ教会 副牧師 キム・ギョンフン
変わらない福音!変わる福音の伝え方! 福音の本質は決して変わりません。天地創造以来、福音を取り囲む環境の変化は常にありましたが、福音の本質自体は影響を受けませんでした。変形するものは福音ではなく、真理でもありません。「変わらず、唯一で、永遠なもの」こそ真理であり、私たちの信じる福音なのです。しかし、私たちが肝に銘じるべきことは、福音が時代に合わせて装いを変え、生き生きと伝えられてきたということです。そして、各国や民族の文化、慣習、言語、科学技術の発達レベルによって、多様に変化を重ねてきました。礼拝も同様です。時代によって礼拝の構成や形式は変わってきましたし、今日の礼拝だけを見ても、教会によって保守的な礼拝や現代的な礼拝などさまざまです。 原始福音時代に、神が直接人間たちと疎通されることによって始まった「メッセージ伝達システム」は、旧約時代にはおもに口伝で伝えられ、それが羊皮紙やパピルスを通して伝えられるようになり、ついには文字と紙を通して供給されるようになりました。さらに、人類最大の発明の一つである印刷術を通して印刷された聖書による福音は、さらに多くの人に急速に普及されるようになりました。少数の特権層のものだった聖書が大衆に読まれるようになり、真の宗教改革が、時代をまたがって起こったのです。そして、ラジオやテレビが出てきて、いまや福音は本格的に大衆化の道を歩むようになりました。口伝と文書を通して福音伝道が行われた1900年まで、クリスチャン人口は5億8千万人でした。そして、1900~1970年まで増加したクリスチャン人口は6億5千万人です。単純な人口増加比率をはるかに上回る数値です。宣教学者たちは、アズサ・ストリート・リバイバル運動と同時に、本格的なラジオ伝道や『ベン・ハー』、『十戒』のようなキリスト教映画の影響も非常に大きかったと評価しています。そして、1970年から2000年まで、30年間で7億7千万人のクリスチャン人口がさらに増加しました。つまり、カラーテレビが登場し、本格的なマルチ・メディア時代に入ることで、容易に福音に接する機会が増えたという反証でもあります。ただメディアの影響だけで教会にリバイバルが起こったと言っているのではなく、教会のリバイバルにメディアが活発に用いられたという事実と、クリスチャン人口の成長の原因の一つとしてメディアの発達があると言っているのです。つまり、西暦の1900年の間に、教会と福音伝道者たちを通して直接福音を聞いた人々よりも、わずか100年余りの期間に、ラジオやテレビのうようなメディアを通して福音を聞いた人のほうがはるかに多いという統計は、注目すべき事実だと思います。
メディアミニストリーの聖書的背景 メディアミニストリーの聖書的な背景を探すのは難しいですが、メディアミニストリーの基本原理である「コミュニケーション」、つまり意思疎通という観点で考えてみると、それはすべての文化や時代に共通した一つの過程であることがわかります。 天地創造以来、コミュニケーションの方法はいろいろありました。神のみことばは、神と人、また人と人が互いに伝達しうる多様な方法で伝えられました。その多様な方法が詳しく記された書が、まさに聖書です。聖書は神が人々との疎通の方法として選ばれた最もすぐれた道具であると言えます。 イエスは、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタ 28:19~20)と言われました。ここで私たちは、イエスが天に上げられた後、新しい概念の宣教が到来したことを察することができます。先に述べたように、旧約時代には、おもに預言者や指導者たちが神の御声を聞いて民に宣言する方法(ヨシ 8:30)と、預言者たちを通して直接教える方法(エズ 7:10)などによって伝えられましたが、これは当時、ほとんどの人々が文字の教育を受けていなかったからです。そのため聖書が記録された当時も、福音は一部の知識層を中心に伝えられ、腐敗した聖職者たちによって中世暗黒時代という暗うつな過去が残っています。これは、福音を伝えるメディア的な環境だけの問題ではなく、当時の政治や教育、文化ともかなり密接な関連があることを反映しています。そのため、福音を伝えることは、単純な行為を超えて、国と民族の文化と言語と慣習とその時代の状況をすべて通過するという意味でもあります。 新約聖書にも四福音書を通してどのように福音が伝えられたかが記され、イエスが人々の理解を助けるために時にはたとえを用い、時にはみことばが奇蹟になる現場を見せることで神のメッセージが民に伝えられました。実際、イエスがこの地に来られたということ自体が、神の疎通の極みでした。福音を直接聞かせてくださるために、神が天から地に受肉して来られたのです。イエスご自身が宣教的なメディアの役割をされたのです。その後、イエスの弟子たちは、福音書と使徒の働きと黙示録を通して、不特定多数の人々と未来の人類との疎通を始め、特に使徒パウロは、それぞれの教会に手紙という媒体を用いて福音を伝えました。パウロが同時に複数の地域にとどまることができなかったので、彼はエペソからコリントの教会のための手紙を書き、牢獄に閉じ込められたときも、獄中書簡としてよく知られているエペソ人への手紙やコリント人への手紙などを書きました。つまり、パウロは捕らわれの身でしたが、福音は彼が記した文書を通してかえって自由に多くの人々に伝えられたのです。 イエスもまた人間のからだの限界があったので、ガリラヤ湖で福音を伝えるとき、エルサレムの人々はイエスのその珠玉のようなみことばを理解できませんでした。それで、イエスが「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです」(ヨハ 16:7)と弟子たちに言われたのは、聖霊がイエスのからだの限界を超えて、あらゆる地域に住む人々と、同時に個人的で親しい霊的交わりをすることで、神の御心が伝えられるからです。それで聖霊の時代は3Aが可能な時代と言われます。All the time(いつでも)、Anywhere(どこでも)、Anybody(だれにでも)福音を伝えることができる時代になったのです。ですから、私たちはもはや福音を伝えることができないと言い訳できなくなったのです。
疎通のための窓口、メディア! メディアの最も重要な役割は「疎通」です。神は限りなく私たちとの効果的な疎通のための道具を探しておられ、それを時代にふさわしく開発できる能力を下さいました。 イエスが語られたたとえに、ぶどう酒と皮袋に関する話があります。新しいぶどう酒を古い皮袋に入れればぶどう酒も皮袋も捨てることになるので、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならないというみことばです。これは、それぞれの時代と場所にふさわしい福音の伝達手段を用いて伝えなさいという意味でもあります。新しい時代に古い時代の通信手段で伝えるなら、マタイの福音書28章のイエスの大宣教命令を果たすのは容易ではありません。教会は時代が求める「新しい疎通方法」にもう少し耳を傾けなければなりません。
ラジオ・衛星放送の活用 以前から活用されてきたラジオ放送は、インターネット時代にも効果的な宣教道具になっています。またテレビも福音の働きの尊い道具の役割を果たしています。CGNTVは一般ケーブル放送とIPTV放送などを通してキリスト教放送視聴者に宣教教育放送としての本来の役割を果たすために最善の努力をしています。2万6千人の海外宣教師の霊的な再充電を目標にして放送しているだけでなく、アメリカや日本、台湾、タイなどのCGNTV支社を通して、現地語で24時間365日放送し、一部はインターネット放送を通して地方教会の牧会者や聖徒たちの霊的成長と教会のネットワークの働きを助けています。 特に人工衛星による衛星放送は、共産圏などの宣教師の一般的な接近が困難な地域で大きな影響力を発揮しています。キリスト教衛星放送を通して年に3万人以上の中東のノンクリスチャンがイエスを信じて回心する出来事が起こっています。中東のS国では、ある男性が衛星放送で偶然キリスト教放送に目が留まり、牧師のメッセージを聞いてその場でイエスを受け入れました。奇蹟的な回心をしたその人は、命懸けで家族に信仰告白をしました。家族会議で彼は「私の人生に大きな奇蹟が起こりました。テレビで牧師のことばを聞いたときイエスが来られました。私はこれからはクリスチャンになります。私のことを通告してもかまいません。私はこれからムスリムではなく、クリスチャンとしてこの家の家長になろうと思います。」しばらく気まずい沈黙が流れた後、家族が一人ずつすすり泣きはじめ、最後には全員彼の信仰に従ってイエスを信じる決意をしました。聖霊が家族の心に働かれたれたのです。 このようなことが世界の至る所で起こっています。最近、イスラエルとパレスチナ地域でイエスを信じるようになった人たちへのインタビューによると、大きく二つのケースがありました。夢や幻を通して直接イエスに会った人々と、衛星放送を通して信じるようになったという人々とが大多数を占めていました。どんなに力のある福音伝道者でも、福音を聞くべき人々に接近できなければ意味がありません。しかし、衛星放送やインターネット、スマートフォンによるモバイルテレビは、福音の死角地帯を目ざめさせるために、すばらしい役割を果たしています。これもまた、科学技術の発達による福音の環境変化が起こったからです。教会はこれから、さらに積極的、かつ攻撃的に、世に奪われてしまったメディアの爆発的な潜在能力を福音のために活用するべきです。 もちろん、メディアが良い機能だけを持っているというわけではありません。明らかにメディアを通して私たちの信仰が一方に傾くこともあり、映像礼拝がかえって既存の信仰者の信仰の情熱を害するという憂慮もあります。しかし、そのような点は教会が積極的に聖徒たちを教え導くなら、十分に解決できるでしょう。小さなマイナス面を恐れて、多くのプラス面のチャンスを逃す愚を犯すことのほうがもっと残念なことではないでしょうか。
キム・ギョンフン CGNTV総括本部長(前 日本CGNTV本部長)。 聖契神学校卒業。 現在、ソウルオンヌリ教会副牧師。
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