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教会成長のための牧会戦略
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崩れた城壁、創造論を再建せよ |
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韓国創造科学会 会長 イ・ウンイル
1. 福音の証拠に創造主なる神が必要です すべてのクリスチャンにとって最も重要な使命は、イエス・キリストの福音を伝えることです。しかし、人によって福音を伝える方法が同じではないことを、聖書で確認することができます。イエスと共に生活し、その主を十字架につけるのに同意したユダヤ人にとって、福音はイエスがメシヤであるということであり、それはとても衝撃的なメッセージでした。旧約聖書を知っているユダヤ人とは違い、イエスのことを知らない異邦人に対しては、別の方法で福音を伝えなければなりませんでした。異邦人はさまざまな神々に仕えるのは当然だと思っていたので、イエスの死と復活の福音を証しする前に、まず、唯一の神である「創造主」について伝えなければなりませんでした。パウロのアテネでの説教は、最も体系的に福音を証しした優れた例です(使 17:16~34)。パウロがまことを尽くして体系的に福音を証しした理由は、アテネの市民が、イエスとからだの復活に対する好奇心でいっぱいだったからです。パウロはそんな彼らにイエスの復活の意味を真剣に伝えるために、4つの段階に分けて論理的に説明しました。第一に、神がすべてのものを創造し、治め、人間から何かを受け取る神ではなく、かえっていのちとすべてのものを与えてくださる方として紹介します。第二に、人間はみな、神の子どもであり、ひとりの人から生まれたという革命的な思想を語ります。第三に、義をもって世界をさばかれる神のさばきを、だれも避けることができないので、偶像崇拝を捨て、神に立ち返る悔い改めをせよと宣言します。そして最後に、復活がこれらすべての事がらの証拠であると説明します。 イエスの死と復活の意味や救いの意味を正しく理解するためには、神が創造主であるということと、人は最初から神の子どもとして造られたということを知らなければなりません。それでこそ、神を拒むことがどれほど大きな罪であるかということや、神のさばきを通して新しい天と新しい地が来るということもスムーズに信じることができるからです。つまり、「創造―救い―さばき」はコインの表裏のように一つなので、創造の信仰を土台としてこそ救いの信仰に正しく立つことができるのです。
2. 科学は創造論を支持している 現代人は幼い頃から神を否定する進化論教育を受けてきたので、超越的な神の存在を認めるのが非理性的であると考えます。聖書のみことばの絶対的な権威は認めますが、すべてを創造された神の存在は受け入れません。彼らに福音を証しするためには、進化論の偽りの正体を明らかにする必要があります。なぜなら、科学的な真理であるかのように教育されている進化論は、とても効果的に福音の重要な要素を攻撃しているからです。進化論は、創造が嘘であり、創造主なる神などいないと主張し、人間は物質と動物から進化した存在にすぎないと主張しています。したがって、聖書のみことばはただの昔話にすぎず、聖書に記されている神の義によるさばきも、ばかげた話になるのです。肉体の復活、すなわちイエスの復活も、当然嘘だと主張します。 進化論は、理性と科学という名で福音の核心を攻撃しますが、実際、進化論自体は、奇蹟や信仰がなければ存在しえません。宇宙はビックバンによって偶然できたものであり、生命体も長い時間をかけて偶然、奇蹟的に出現したと主張します。宇宙全体がアミノ酸で満たされても、特定の配列をなすタンパク質の一つも生じる可能性がないということを考えると、偶然生命体が出現したと信じるには、ものすごい信仰が必要です。進化論者は、科学的な論理に反する進化が、かつて奇蹟的に起こったと堅く信じているのです。 進化は、実際に起こったことではないので、科学的な証拠もあるはずがありません。それにもかかわらず、学校の教科書には進化の証拠というタイトルで、多くの証拠を提示し、魚類、両生類、ハ虫類、鳥類、哺乳類へと進化したと主張します。しかし、この主張は、遺伝情報の設計図が無作為な突発変異により新しい設計図になったという、ありえない主張にすぎません。ところが学校の教科書では、始祖鳥がハ虫類から鳥類に進化する中間段階のように主張しています。しかし、始祖鳥は鳥の先祖ではないことを、すでに科学者たちは知っています。始祖鳥が発見された地層よりも下の地層から鳥の化石が発見されており、始祖鳥のようにくちばしに歯のようなものがあり、羽に爪がある鳥は、今でもいます。始祖鳥は、完璧に飛べる鳥として化石が残っているにすぎません。また、すでに偽造されたことが明らかになっているヘッケルの反復説の図を、今でも進化の証拠であるかのように教科書で用いているのです。 進化論者の期待とは違い、化石は、進化の証拠ではなく、ノアの時代の大洪水のような地球規模の大激変の証拠であり、進化が起こらなかったということをよく表しています。私たちが現在見ているほとんどの生命体と全く同じ形の生命体が、化石として発見されています。進化論の年代で言うなら、数百万年、数億年間、全く変化のない、進化したことのない生命体で地球は満ちています。もちろん、恐竜のように滅亡した生命体もありますが、それらを含めてすべての化石が地球規模の激変により作られたという証拠ははっきりしています。進化論者が、自信を持って進化の証拠として挙げるのは、生命体の多様性です。しかし、生命体の多様性は進化の証拠ではなく、種類別に成育し、繁殖するよう造られた神の創造の秩序なのです。 では、科学者はなぜ、証拠のない進化論を真理であるかのように信じ、公教育で起源に対する唯一の仮説として教育するのでしょうか。それは「創造」は科学的な理論ではないと考えるからです。「創造」は創造主なる神の存在を前提にしているため、科学ではないというのです。1859年、ダーウィンの『種の起源』が出版されて以後、進化論が起源に対する唯一の科学的な事実として教育されるようになり、生物学だけでなく、すでにすべての学問分野で起源に対する唯一の理論となっています。 しかし、だれが見ても世界は設計されたように見えます。宇宙も生命も設計者がいて、その設計者の知恵と力が無限であるということを科学者も感じざるをえません。宇宙が加速的に膨張しているということを知るにつれて、宇宙について説明できる人間の知識は限界を見せ、宇宙科学の暗黒時代が開かれたと告白しています。DNAの遺伝情報に対してより多くわかってくると、DNAはとても複雑な遺伝情報の設計図であることがわかるようになり、進化論で生命情報を説明できないという論文が『ネイチャー』に載せられました。それにかかわらず、神を信じるという人の中にも、進化論を科学的な真理であると信じている人がたくさんいます。20世紀の文書批判などの影響により、自由主義神学が台頭し、聖書を神のことばではなく古代文書の一つに転落させてしまいました。また、1912年に発見された「ピルトダウン人の化石」は、人間がサルから進化したという決定的な証拠とされ、1962年に偽りと判明されるまで、進化論は、化石の証拠を持つ完璧な理論でした。20世紀半ばまで、科学的な真理とされてきた進化論を、神学者は真理として受け入れ、進化を認める聖書解釈を創世記解釈の主流としていました。進化論には何の証拠もないとわかるなら、このような解釈がどれほど非科学的で非理性的であるか、また聖書をどれほどゆがめているかがよくわかります。
3. アイデンティティーの回復が福音です 2003年、米科学雑誌『PNAS』で、チンパンジーは人間の遺伝情報と99.4%一致し、ゴリラやオランウータンよりも人間に近いと主張する論文が紹介されたことがあります。この論文以後、チンパンジーを「1%足りない人間」と呼び始めました。以後、似たような研究が発表され、数値こそ違いはありますが、チンパンジーが最も人間に近い類人猿であるというのが、この研究以前から今に至るまで、進化論者たちの主張です。しかし、幼い子どもが見ても、チンパンジーは人間よりもゴリラやオランウータンに近いように見えます。遺伝情報というのは設計図ですが、設計図は人間と近く、設計図の結果はゴリラやオランウータンに近いというのは、あまりにも矛盾した現象です。実際に論文を読んでみると、もっとあきれてしまいます。チンパンジーと人の遺伝情報を比べるために、人とチンパンジーの遺伝子データベースから、同じ遺伝子を探して比べ合ったのです。3万個を超える人の遺伝子の中からチンパンジーと同じ遺伝子が97個発見され、同じ遺伝子97個を比べ合ったのです。同じ遺伝子とは、99%以上一致しているということを意味し、したがって同じ遺伝子97個を比べるなら、99%以上一致するのは当然の結果です。同じ遺伝子を比べて99.4%一致したことから、チンパンジーと人の遺伝子が99.4%同じであるように解釈するのは、常識外れです。 このような常識外れの研究が堂々と発表された理由は、進化論を信じているからです。進化論はチンパンジーと人間が似ているということを前提としているからです。すでに信じている事実を裏付ける研究なので、意味があると考えるのです。しかし、人間は類人猿と似ている存在ではありません。人間はほかの動物と違う特別な存在です。人間が特別な存在であるということは、人類が成し遂げた科学や文化が証明していますが、人間が本当にどんな存在なのかは、人間を創造された神を知らずしてはわからないのです。 人間はひとりひとり独特な神の創造目的を持って生まれ、選ばれた存在です(エレ 1:5、エペ 1:4)。人がこの世に存在する理由は、自分だけに与えられた独特で偉大な神の使命を果たすためであり、また聖いイエスに似ていくためです(エペ 1:4, 5)。もともと人間は、創造されたときから神に代わって地を治める偉大な存在でした(創 1:26)。福音は、人が罪人であるがゆえに、本来あるべき姿になれないでいるが、十字架を通してそのあるべき姿になれる道が開かれたという、喜びの知らせです。イエスは罪を犯した人間と、うめいている被造物を回復させるために十字架を通して死の刑罰を受けられました。しかし、復活されたイエスはすべてにまさる御名となり、万物がその足もとにひれふすようになりました。福音を通して創造の秩序が回復したのです。創世記1章は、三位一体の神―人間―万物(地)の構成を表していますが、エペソ人への手紙1章は、かしらであられる主―教会(聖徒)―万物(地)の構成を表しています。福音を通して人間が回復し、地も回復するということを示しているのです。
イ・ウンイル 韓国高麗大学大学院医学部にて博士号取得 現在、韓国 高麗大学医学部教授 韓国創造科学会会長、および創造科学講師 2009年より現在に至るまで日本ラブソナタ講師
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