須田牧 ● 旭川神愛キリスト教会
私は、数年前とても困難な状況にありました。クリスチャンホームに生まれ、クリスチャンとして歩み続けてきましたが、これまでに類のない困難を通し、主は私にみことばへの飢え渇きを起こしてくださいました。主が何と言っておられるのか、主のみこころはどこにあるのか、ということが私の最大の関心事で、聖書を開き、みことばのシャワーを浴び、困難な状況に身を置く中での力、きょう一日を生きる力をいただいていました。八方ふさがりでも、天への窓は開かれている。まさにそんな状況でした。 そんなとき、QTというものを知ったのです。それまでの主との交わりは、時間がバラバラだったり、忙しければ後回しという不安定なものでしたが、毎朝主の前に静まり、みことばを通して主との交わりを持ち続けるこのQTは、主にもっと近づく素晴らしい方法として、とても輝かしく感じられ、それ以来きょうまでQTを続けてきました。 続けてきて思うことは、QTは本当に主に近づく素晴らしい方法だということです。みことばを黙想し、その中から、みことばがなければ私が決して願うことのなかった祈りや、悔い改めの祈りに導かれる時、このQTに主が生きて働き、導いてくださっていることに感動を覚えます。また、私個人と直接関わりを持ってくださっている主を知ることができました。そして、QTからはじまるみことばの黙想は、一日私の心にとどまり、主との関係を軸に日々生活をするように変えられてきたように思います。とはいっても、日常の生活は本当にさまざまなことがあり、古い性質に負けてしまうこともあります。それでも、また新しい朝、主によって軌道修正され、新たなスタートができる恵みを教えられています。 QTを続ける中で、あるとき、QTに対する自分の心の動機を見せられたことがありました。それは、主との交わりを第一とするのではなく、何か主からの示しを求める心が第一になっているということでした。主は、QTを通してさまざまなことを示されますが、主がまず求めておられることは、主とともに時間を過ごすこと、ともに交わることなんだということに気づかされました。主の愛の中に身を置き、みことばと祈りを通して主と交わる。このことが主への信仰を強め、また日々の力の源になっていくことを知りました。また、主の恵みの中にあるとき、みことばが甘いものとなることも知りました。主の恵みにより私は生かされていることを、この朝もまた新たな感謝の思いで受け取っています。
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