チョ・ビョンス ● 合同神学大学院大学 総長 新約神学教授
内外の問題で苦しむパウロとコリントの教会 もともと使徒パウロは、コリントからマケドニヤへ行き、再びコリントを経てユダヤへ行く計画を立てましたが(1:15~16)、実際はこの計画をあきらめて、トロアスを経て(2:12)マケドニヤへ行きました(2:13;7:5)。そして『コリント人への手紙第二』の最後の部分を記した当時、三度目にコリントに行く計画を立てました(12:14;13:1)。このように使徒パウロは、移動中に『コリント人への手紙第二』を記しながら、教会の内外の問題に思い悩んでいました。パウロは自分の置かれた状況を「外には戦い、うちには恐れ」(7:5)と要約しています。 また、使徒パウロと同じように、手紙を受け取ったコリントの教会も、苦しみに会っていました。コリントの教会は苦難に会い(1:6~7)、内部のいくつもの問題で苦しんでいました。内部の問題には不品行(7:12)、不信者たちとの無分別な交わり(6:14~16)、近隣の教会の困難を軽視する閉鎖的な態度(9:7)、にせ使徒たちの出現(11:13)などがあります。使徒パウロは、コリントの教会のこのような問題を解決するために、この手紙を書きました。 『コリント人への手紙第二』は、導入(1:1~2)、本題(1:3∼13:11)、結び(13:12~13)からなっています。本題は序論(1:3~14)、本論(1:15~13:10)、結論(13:11)からなっています。
コリントの中で可能な新しい人生 使徒パウロは『コリント人への手紙第二』で、いくつかの主題について述べます。その中でも、神に対する信仰の部分はとても重要です。神は創造の神(4:6)、復活の神(1:9;4:14)、慰めの神です(1:3)。使徒パウロはイエス・キリストゆえに苦しみを受ける人々のそばには、あわれみと慰めの神がいることを強調しています。 使徒パウロはさらに、人間がどのような存在であるかを詳しく説明しています。人間は内なる人(霊)と外なる人(肉)という二重の構造を持っています(4:16;7:1)。救われた人は「新しく造られた者」と呼ばれます(5:17)。その理由は、その人がキリストの罪の贖いの死によって救われたためであり、バプテスマによってキリストとともに葬られた人は、キリストが復活されたように、新しいいのちを生きるようになるからです。ですから、「新しく造られた者」ということばの中には、救われた者という意味だけでなく、救われた人生を生きる者という意味も含まれているのです。 『コリント人への手紙第二』のもう一つの重要な主題は、イエス・キリストです。神は人間をご自分と和解させるために、死と復活(13:4)のキリストを、仲介者として立てられました(5:18)。イエスが仲介者となることができた理由は、キリストが神のかたちであり(4:4)、キリストがすべての人のために死なれたからです(5:14)。 ところで、キリストはとりなす方であると同時にさばく方です(5:10)。すべての人は、世の終わりの日に必ずキリストのさばきの座に立ち、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになります(5:10)。そのため聖徒は、キリストのさばきの日という未来を見つめる霊的な目を持って生きなければなりません。 教会はキリストの仲裁を通して神と和解した人々が集まる機関です。また教会は、生ける神の宮として(6:16)世と区別された存在です(6:17)。地上の教会はサタンの攻撃にさらされていますが(11:3)、聖霊の絶対的な保護の下にあります。聖霊は教会のための保証なので(1:22;5:5)、教会は聖霊の保証の下にあって自由を得ています(3:17)。 これ以外にも、『コリント人への手紙第二』の中で使徒パウロは、聖徒の生活がどのようなものであるかを教えています。聖徒の生活は、貧しさと豊かさの間でなされる逆説的な人生です。パウロは、貧しさが豊かさをなすという逆説的な人生の根源は、まさにイエス・キリストであると述べます。イエス・キリストの貧しさは人々を富ませる原動力です。キリストの貧しさによって人々は富む者となったからです(8:9)。 またパウロ自身も、模範であるキリストに従ってこのような逆説的な生き方を生きました。パウロは貧しいようでも、多くの人を富ませました(6:10)。そして、マケドニヤの教会でもこのような逆説的な生活を実践します。マケドニヤの教会は極度の貧しさの中でも、苦しんでいる近隣の教会のために惜しみなく与えました(8:2)。使徒パウロは『コリント人への手紙第二』を通して、すべてのクリスチャンがこのような逆説的な人生を生きるよう励まし、勧めています。
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