キム・チョルヘ ● トーチトリニティ神学大学院 新約学教授
順調な人々が出会う複雑な問題 コリントは、ギリシャのアテネから南西約78kmの、ギリシャ本土とペロポネソス半島が接する地点にある、「ペロポネソスの門」または「海の架け橋」とも呼ばれてきた港湾都市です。 パウロの時代、アカヤ地方の首都であったコリントは、東にはエーゲ海に進出するケンクレア港が(使 18:18~19)、西にはアドリヤ海に出るレカイオン港があり、そのおかげで多くの恩恵を受けていました。 その結果、コリントは商業的にはもちろん、政治、軍事、宗教、哲学など多方面で東・西方をつなげる貿易都市として成長しました。当時のコリントは、ローマ、ギリシヤ、エジプト、ユダヤ、シリヤなど、東西文化の交流地、貿易と産業の中心地、軍事要衝地となりました。 しかしその反面、コリント教会はまるで今日のラスベガスのように堕落し、現代の教会、特に韓国の教会が置かれた状況を連想させます。福音が初めて伝えられたときにさまざまな面で貧しかった韓国は、現在先進国となり、教会の発展の上でも神の祝福を受けています。ところが、草創期の教会が持っていた純粋な信仰と力、社会への影響力は失われ、非難の対象となっています。 コリント教会と韓国の教会が陥った状況が似ているだけでなく、その状況から広がった問題点と解決方法も適用できます。そのため、コリント教会に送られた手紙は、韓国の教会にとっても現代のクリスチャンにとっても深い意味を持っているのです。
世の中で世に染まらない教会になる夢 コリント教会の場合、話のうまい人と多くの知識を持った人があふれ、「どんな賜物にも欠けるところがない」状況が(1:5, 7)むしろ教会内部を複雑にし、混乱させる結果となりました。彼らの話術と知識は争いを起こし、分派まで生じました(1:11~13)。パウロがコリントに来る直前アテネで出会った「あらゆる点から見て、…宗教心にあつい」(使 17:22)人々はコリント教会にもいました。また女神アプロディーテーをはじめとするギリシャ宗教に仕えていた偶像崇拝と熱心さが、むしろ福音を混乱させる混合主義の信仰と混乱した礼拝をもたらしました(11~14章)。 パウロは5章全体で、当時のコリント社会に蔓延していた誤った性的基準が、すべての教会に及ぼす悪影響を憂い、その根を完全に抜き取らなければならないと指摘します(6~8節)。今日の間違った西欧化と堕落した文化の腐敗したパン種が、韓国の教会全体に悪影響を及ぼしているのと似ています。性的な問題以外にも豊かな社会で目にする貧富の差の問題(11:22)、世の法廷での訴訟問題(6章)、偶像崇拝の問題(8章)は、教会内に世俗化の風が絶えず吹いていることを示しています。 神が与えてくださった環境は人によって祝福となることも、ならないこともあります。与えられた環境を感謝をもって受け入れ、それを携えて主の御前に出れば問題が祝福へと変わることがあります。これが私たちがコリント人への手紙第一において注目し、適用すべき重要な原則です。1章4~7節のあいさつの部分で、パウロは神に感謝をささげますが、実はこの感謝の条件が、コリント教会内のすべての問題の根本的な原因でもあります。つまり、すぐれた話術を用い、知識を誇り、分派を作り、賜物を多くいただいたといって礼拝を混乱させたのです。 問題を解決する秘訣は、それらを与えてくださった神(聖霊)の御声に聞き従うことです。ですからパウロは、世の知恵と知識の限界を述べ(1:18~31)、謙遜になるよう勧めています。そして神の知恵の最高の表現であるキリストの十字架を握って(2:1~5)、聖霊に導かれて生きることが(2:6~16)問題の答えだと言っています。 この原則は、聖徒の信仰生活と個人の生活にも適用することができます。聖霊の賜物の中で一番重要なことは、その賜物を与えてくださった方の御心に従って用いることです。すべての聖徒はそれぞれキリストのからだである教会の器官であり、すべての賜物はからだを作り上げることに用いなければなりません(12:12~31)。今日の聖徒がコリント人への手紙第一を読んで肝に銘じるべきことは、世が教会の中に入り込んで混乱させるのを見て、警戒することです。私たちは世の間違った価値が聖徒の人生の基準を崩すことがないようにするべきです。このすべてのことを完全に解決してくれる総合的な治療法は、キリストの十字架で現された、完全な愛の賜物を用いることと(13章)、そのようにできる根拠と動機を与えるイエス・キリストの復活を握って生きる信仰なのです(15章)。
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