新しい時代に向けた新しい牧会を

   弟子訓練と聖霊
 
光州サラン教会担任牧師 パク・ヒソク


「弟子訓練」と聞けば、「変化」ということばを最初に思い浮かべることでしょう。牧師が弟子訓練牧会を始めるときに持つビジョンは、おそらく信徒の「変化」ではないでしょうか。世を愛していた心が神を愛する心に変えられ、毎日肉的なことばかり考えていた心がほかの人々を顧み仕える心に変えられ、人の悪口を言っていた口が祝福する口に変わり、イエスが抱いた夢を自分の夢にして、イエスが歩まれたその道を歩もうと決断する。そのような信徒の姿を心に描いて弟子訓練牧会をします。
私も牧師として同様に期待し、弟子訓練牧会を始めました。当教会の約80%の信徒たちは、今まであまり学ぶ機会がなく、学習能力も不足し、未来が保障されていない、日々苦しみながら生活している人々です。一言で表現すると、弟子訓練を受けるにはあらゆる理由においてふさしくないと思われるような人々です。しかし私は弟子訓練が牧会の本質だと信じ、これまでの10年間ひたすら弟子訓練牧会だけを目指してやってきました。苦しみながら弟子訓練に邁進しました。
ところが期待とは裏腹に、私の目に映る信徒たちの姿は、私に牧会の限界を感じさせました。一つめに、信徒からの反応がなかったからです。弟子訓練に反対はしませんでしたが、積極的には見えませんでした。私が赴任したとき、この教会は紛争と混乱の中にありました。教会としては、担当牧師を招いて、一日でも早く教会を安定させるのが最優先であり、私が提案した弟子訓練を受け入れることに反対しなかったのです。しかしすべての信徒は、弟子訓練に何の期待もないようでした。
二つめに、訓練を受けているときには変化がありそうでしたが、修了後にはまるでスプリングのように以前の状態に戻っていたからです。彼らは社会的にすでに弱者の立場であるため、人に仕えるとか自分の十字架を背負ってイエスに従うという話を、ただ心苦しく感じただけだったようです。すでに社会的に低く、周りからもそのような目線で見られているのに、人に仕えるとはどういうことなのか。このような現実的な状況が弟子訓練に対して彼らが心を開く妨げとなっていました。
三つめに、弟子訓練を終えても、自己中心的な考え方から脱することができなかったからです。生活の問題が解決されれば、人間は人生の価値を追い求めるようになりますが、生活の問題が解決されないので、他人の問題が自分の目に入ってこないのです。したがって弟子訓練を受けたものの、他人の必要を満たすことに視線を移せず、自分の問題ばかりに信仰生活の焦点が合わされていました。
力を尽くした自分の情熱が水の泡になるほど変えられない信徒たちの姿を見ているうちに、私も徐々に疲れ果てていきました。すべての働きに虚しさとひどい挫折感を抱き、信徒たちを眺める私の心はますます冷めていきました。ところが皮肉なことに、教会に通う人々は増えていきました。表面的に大きな問題はなかったのです。このまま牧会をしてもだれかが文句を言うことはありませんでした。しかし私の心には消えない苦痛がありました。変わらない信徒たちを見る度に、牧会することが自分を欺くように感じられ、耐えられなくなりました。私は牧会の崖っぷちに立たされたのです。
人が変えられるということは、決してやさしいことではありません。弟子訓練を受けたからといって、人間の本性が一瞬で変わるはずがありません。しかし私は、自分の努力と情熱があれば可能だと誤解していました。崖っぷちに立たされた私は、牧会をあきらめようとしていました。しかし私のたましいは、切に神に向かって叫んでいたようです。そんなある日、ある団体が導く集会に参加して、後ろの席に座って見ていると、突然聖霊の臨在を経験しました。そして急に私の目から涙が流れ始めました。私は深い悲しみを感じ、すすり泣きました。どうして涙が出るのかわからず、そのまま1時間半ほど泣き続けました。自分では期待も予想もすることのできなかった出来事でした。本当に理解も説明もできない超自然的なことが私に起き、その後2か月ほど泣きながら過ごしました。祈るときはもちろん、運転中も泣き、話しながらも泣き、あまりにも泣いてるので、妻がうつ病ではないかと心配するほどでした。その涙は悔い改めの涙でした。聖霊は鈍感な私を悔い改めさせ、自分の罪を悟らせてくださいました。自分の力で人を変えようとしていた傲慢さを悔い改めました。変わらない訓練生たちをさばいていた自分を悔い改めました。問題は、訓練生ではなく、私のほうでした。私に愛がなかったのです。悔い改めの涙を流す間、神は私の心に愛を注いでくださり、回復させてくださいました。
その後、ヨハネの福音書14章9節から10節のみことばが私の心に迫ってきました。
ある日ピリポがイエスに、天の父を見せてくれるよう頼みました。そのときイエスは、「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか」と答え、続けて「わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです」(ヨハ 14:10)と語られました。
この個所を読み、今まで私が「弟子道」について何か大きな誤解をしていたことを悟りました。イエスはご自身の心を空にされ、自分の意思ではなく、ご自分の中におられる神の御心のままに伝えられたのです。私はここからイエスが弟子たちをどのように訓練されたのかを知ることができました。イエスはご自分を通して、徹底的に神だけが現われるようにされました。心を空にし、明け渡す弟子道、これがイエスの弟子道です。
今まで韓国教会が追い求めてきた霊性は、満たしの霊性でした。コンテナ霊性とも言えます。コンテナの特徴は何でしょうか。満たさなければなりません。荷物を積むときにはいっぱいになるまで積まなければなりません。そのように満ちあふれてはじめて、人に流せると思っているのです。しかしこの理論には矛盾があります。一体どこまで満たさなければならないでしょうか。またすべてを満たそうとすれば、どれほどの時間がかかるでしょう。このような霊性は、自己中心的な敬虔生活に陥りやすくなります。弟子訓練を受けたなら、その時からは自分から人に視点を移さなければなりません。自分の必要を満たしていたパラダイムが、人の必要を満たすパラダイムへと変わらなければなりません。働きを提案するとき、信徒たちから一番多く受ける質問があります。「自分が満たされていないのに、何をあげるのですか」、「まだ自分の問題さえ解決していないのに、どうやって人に気を配ることができるのですか。」自分を満たさなければならないという考えは、教会での働きも自分の働きだという誤解を招きます。このような考えは、結局は自分の限界を感じ、あきらめさせてしまうのです。
弟子道は、心を空にする霊性です。パイプライン霊性とも言えます。自分を徹底的に空にして、完全にイエスのみが現われるようにすることです。私は今まで、満たすことばかり考えていました。訓練生たちが私に期待している、霊的なパワーを自分で備えようと思っていたのです。しかしイエスの弟子道は、自分を満たす弟子道ではなく、空にする弟子道です。言い換えると、自分を捨てて死ぬことです。それでこそ自分の中におられるイエスが完全に現われるのです。パウロはこう告白しました。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラ 2:20)。
私は死んだ者です。私のうちに生きておられる方はイエス・キリストです。したがって自分が完全に死んではじめて、私のうちにおられるイエスが、私を通して完全に現れることができます。自分はパイプラインとなり、神の愛が私を通して流れ、神の力が私を通して流れ、イエス・キリストのいのちが私を通して流れるようにすべきなのです。パイプラインに学歴や貧しさなどは問題ではありません。ただ恵みの管になれば良いのです。私が死ぬときはじめて美しいイエスの姿、神の人格が私を通して現われるようになります。これが弟子訓練の目標となるべきです。
これから私は完全なパイプラインになるために、次の二つのことに力を尽くしたいと思っています。パウロはクリスチャンの生き方についてこう助言しています。「万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています」(Ⅱコリ 11:3)。
真実と貞潔です。ここで真実とは、英語で単純性を意味します。イエスだけを見つめ、その方の美しさに思いを馳せることを指します。ただイエス・キリストだけを求めて、タビデのように主を見上げ、その方のみを慕うのです。二つめは、貞潔です。これは聖潔を意味します。イエスだけを見つめるようになれば、私もイエスのようにきよい者になることができます。イエス・キリストだけを慕う真実と貞潔により、心を明け渡す弟子道を目指しています。
私は毎日、ガラテヤ人への手紙2章20節のみことばを暗誦してから一日を始めます。毎日神の御前にひざまずきます。パウロの告白のように、十字架の前に出て行き、日々犯している自分の咎と肉の欲を、十字架につけます。そして私は死んだ者だと宣言し、イエスにゆだねます。私の唯一の関心は、教会のリバイバルでもなく、能力者になることでもなく、私を通してイエス・キリストだけが現われ、どうすればイエスの御名があがめられるかということです。そうすると、牧会についての強迫観念がなくなりました。信徒たちを変えなければならないという負担もなくなりました。なぜなら、イエス・キリストご自身がなさるからです。驚くべきことは、このように自分を明け渡してから、変化がないように見えていた信徒たちが変化していく姿を見るようになったことです。どうしてこのようなことが起きたのでしょうか。それは、私が私のうちにおられるイエスを見つけたからです。弟子訓練は、自分を殺す訓練です。十字架に自分をつけ、イエス・キリストだけが現われるようにする訓練です。私たちが死ねば死ぬほど、イエスの美しさやいのち、愛が、私たちを通して現われます。私たちがイエス・キリストの恵みを流す、パイプラインになるのです。


パク・ヒソク 
1959年6月6日生まれ。アメリカカヴァナント(Covenant)神学校卒業。アメリカリフォームド(Reformed)神学校卒業。現在光州サラン教会担任牧師。総神大学教授。

 

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