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新しい時代に向けた新しい牧会を
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変化をともなう聖書通読 |
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All Nation Church 聖書担当牧師 ジュ・ヘホン
変化とは、単に私たちの行動が変わることではなく、品性が変えられていくことです。そのためには私たちの価値観自体が変えられなければなりません。それは聖書を読むことにより、みことばの力によって可能になります。聖書の英語のアルファベットを用いた定義があります。 聖書(BIBLE)は Basic Information Before Leaving Earth、すなわち聖書は、地上で生きていく人生における必要な情報を提供してくれる本という意味です。つまり正しい人生を生きるために、神のくださる情報を知らなければならないという意味が、正しい解釈になると思います。 ところでパスカルがパンセという本で、すべての人の人生は祝福とつながっているため、私たちの生活の価値観の変化は正しい祝福観から成り立たなければならないと言及しています。聖書の語る祝福は、生活の中で享受する祝福を指します。世俗的な祝福は受ける祝福を指しますが、聖書での祝福は生きる祝福です。神とともに歩む人生が、まさに祝福なのです。 詩篇73篇28節には、「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」と書いてあります。神とともにいることが祝福です。なぜなら神は祝福の源であり、はじめから神は祝福を与えてくださるために私たちを造られたからです(創 1:28)。 聖書を読んだ後に生活が変えられる理由は、神の近くにいるため、その関係が回復し、祝福を享受するようになるからです。では恵まれた人生のため、関係の回復のため、どのように聖書を読めばよいのでしょうか。聖書をきちんと理解しながら読み、全人格的な変化のために読まなければなりません。
1)知性的に読む:神について正しく知るため 2)感性的に読む:その神と関係を結ぶため 3)意志的に読む:その結ばれた関係の中で生きていくため
このような変化を追い求めて、聖書を読み取るためには、聖書の神学的な観点と聖書の核心のメッセージを理解するための主軸となる三つの概念をもとにして読まなければなりません。そのためには、あらすじによる読み取りと、メッセージによる読み取りの二つの方法で聖書を読まなければなりません。このような理解に基づいて聖書を読めば、聖書を読むのがより楽しくなります。
あらすじ(Story line)による読み取りと、メッセージ(plot line)による読み取り 聖書は単に抽象的で観念的な哲学知識を並べた本ではありません。神は人間を含む被造世界に直接的に関与される摂理の主であり、聖書は創造主の統治行為に基づいてして記された、歴史的かつ現実的な本です。ですから聖書の中の時間軸を無視して読むことはできません。したがって、聖書はまずその骨組みを探して読まなければなりません。しかし私たちが持っている聖書66巻の配列は、時間の流れに沿った時間軸をもとにして配列されたものではありません。そのために聖書が読みにくいのです。 聖書は、創世記から黙示録まで、66巻で構成されています。66巻の各巻にはとても重要な神学的メッセージが含まれていて、重要な意味があります。しかしその羅列自体は、あらすじとしてはうまくつながっていません。聖書をあらすじに従って読むと言う場合、六何の原則(いつ、だれが、何を、なぜ、どこで、どう)に沿って読み、六何の原則に基づいて時間の流れを追うことが重要になります。それで私たちは聖書の66巻を聖書順に読まず、時間の流れに沿って読んでいます。 実際、聖書は、その中に出ている人物が中心となったヒューマンストーリーではなく、その人たちを通じて働かれる神の物語です。歴史をHISTORYと言いますが、実はその歴史さえも神のストーリー(His Story)なのです。私たち人間の一般的な歴史も、神のストーリーだということです。なぜならば、神がこの宇宙万物を創造した創造主だからです。ですから、神はこのすべてのものを神の懐に抱かれ、自ら働いてくださるのです。これがまさにあらすじです。したがって、神の歴史という観点で、あらすじをまとめていくことがとても重要です。このようにあらすじをまとめていけば、神が私たちにくださるメッセージをきちんと読み取れるようになるはずです。しかし、聖書を読んで、私たちの生活がみことばによって変えられるパワーは、あらすじから出るのではなく、そのあらすじを背景にしたメッセージから出ます。そのため、正しい人生へと導く力ある神のメッセージを探すためには、聖書の神学的な観点に基づいたあらすじとメッセージを読み取らなければなりません。これは非常に重要なポイントです。 二つめに、メッセージラインによる読み取りです。あらすじが展開される過程で表れるメッセージを探して、恵みを受けます。前述のように、私たちの生涯に変化を及ぼすのは、あらすじ自体ではなくそのあらすじに基づいたメッセージです。 聖書は、聖書に出て来る人物のストーリーではありません。聖書はその人物を通して働かれる神に焦点が合わされています。その歴史的な状況の人物のヒストリー(history)ではなく、その人物を通して働かれる神のストーリー(His Story)です。 私たちが聖書をあらすじによって読む必要があるのは、聖書がほかの宗教の経典のように抽象的で観念的な真理を語るのではなく、時間と歴史的な状況によって展開される神のみわざと、神の勝利について書かれているので、聖書の時間性と歴史性を無視して読むと、正しい理解ができなくなります。そういう意味で、私たちは聖書のあらすじを探して、歴史の中で、私たちの生活の中で神がどう働いてくださり、またすべてが成就される過程を知る必要があるのです。聖書のメッセージは歴史性と現実性に基づいていますから、現実的に私たちの生活を変える力を持っているという事実がわかったとき、私たちは正しいメッセージを見出すことができます。正しいあらすじを探し出すとき、聖書からのメッセージを見つけることができます。このメッセージラインを探して読むために、三つの神学的な観点を中心にして、三つの概念、すなわち神中心、人中心、自己中心性を根拠にしてメッセージを探さなければなりません。これからそれらの説明をします。 聖書の読み取りの三つの神学的な観点は、第一に、終末論的な神の贖いの歴史、すなわち聖書は神の終末の贖罪史です。これは、初めに人間が罪を犯したことにより、神とともに歩むいっさいの関係が壊れ、それで神とともにいる幸せな恵みを失ったということです。その幸せな関係をまた回復させる贖いの働きが神によって始められ、完成される話が聖書の物語です。第二に、神の御国の観点を語っています。神との関係の回復とは、神の完全なる統治が私たちの生活でなされることを意味し、それは神の国を指します。神はそのような国が私たちの生活の中に成し遂げられることを願っておられます。第三に、その御国をなすために神の民は聖なる生活、すなわち聖別した生き方をしなければならないということです。この世の文化に染まった人々と同じように生活をしてはいけません。
この三つの観点とともに、重要な三つの概念を理解する必要があります。それは神為、人為、自己中心性に対する概念です。この三つの概念については、なじみのない方が多いので説明させていただきます。
神為 神為とは神の方法です。神為の「神」は神を意味し、「為」はなすという意味です。神為は漢字ですが、その単語を解くと、「神が成し遂げてくださる」です。神の方法どおりになっていくという意味を持つ用語です。
人為 反対に人為という概念は、人がなすという意味です。神為と人為は、互いに相反した概念です。神為と人為の概念の中に、自己中心性という問題が必ず立ちはだかります。ですから、私たちは、神の御心に従う人生となるために、人為を果敢に捨てて、言い換えれば自己中心性を捨てて、神為に従わなければならないのです。
自己中心性 結局、人間が罪を犯した最大の原因は、まさに自己中心性のためでした。アダムとエバが善悪の知識の実を食べてしまったのも、この自己中心性によるものです。人間が罪を犯すすべての犯罪の根源に、自己中心性が存在しているのです。自分の思いどおりに暮らそうとすること、自分の方法を追及するときに、神の方法はなされません。しかし、神は、人間が自分の方法ではなく、神の方法に従って生きるのを願っておられます。聖書の多くの個所でそのような神の姿が見られます。
生活に変化を及ぼす聖書通読は、このような見方と概念で読み進められなければなりません。私たちの人生に変化をもたらす聖書の読み取りができますよう期待いたします。
ジュ・ヘホン 現在、アメリカ・ロサンゼルス近郊のサンランドに位置するANC(All Nation Church)で聖書大学担当牧師として献身している。延世大学行政学科を卒業後、渡米し、ボストン大学経営学修士学位を取得。カリフォルニア州政府監査官として25年間勤務し、引退。聖歌隊の指揮者として奉仕し、20年間聖書を教える。その後、パシフィッククリスチャン大学(ホープインターナショナル大学)大学院で牧会学(修士)を学び、ロサンゼルスにあるアメリカ総神神学校とユニオン神学校で講義する。訳書には「Real Worship」などがある。
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