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新しい時代に向けた新しい牧会を
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よい知らせを含んだ香り |
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文化研究院「塩の香り」院長 _ パク・ジョングァン
蒔く時と蒔いたものを刈り取る時 人を含むすべての存在の条件のうち、一番基本的なものが時間と空間です。しかし、この二つの条件は非常に対照的です。 空間は人の視野と手の内にあります。人の五感で直接認識でき、人の手によって変わります。たとえば、川に足を入れたり、山にトンネルを掘って自由に行き来したり、海を埋めて地図を変えたりもします。その一方、時間はどんな方法でも直接認識できません。空間の変化を通して、間接的に把握するだけです。また、その流れを少しも変えることができません。むしろ時間が人を変えて年をとらせます。 このように時間は、人の思いとは関係なく与えられます。しかし与えられた時間をどう使うかはその人の考え次第です。そして、時間において一番重要なことは、時間の周期性です。 一度過ぎた時間は、二度と戻っては来ません。ですから自分の日を正しく数えなければなりません(詩 90:10~12参照)。ところが、時間が人に与えられる時においては、あるパターン、つまり周期があります。これを私たちは「時」と呼びます。地球の公転によって春、夏、秋、冬という自然の変化の周期が生まれます。この時に合わせて人の生活は変わってきます。たとえば、春には種を蒔き、夏には蒔いたものが育ち、秋にはそれを刈り取ります。それで種蒔き期と収穫期が生まれたのです。 「すべての営みには時があります」(伝 3:1参照)。個人の成長過程を見ると、学校で習う時があり、習ったものをもって就職し、生産的な活動をする時があります。前者を種蒔き期とするのなら、後者は収穫期だと言えます。事業の場合、種蒔きに該当するのは投資であり、収穫に該当するのは販売による収益です。このような観点から見たとき、韓国教会においては1970年代と1980年代は大収穫期でした。このとき多くの人たちがクリスチャンになり、教会が急速に成長し始めました。 しかし、今はかなり状況が変わってしまいました。依然として成長している教会はもちろんありますが、韓国教会全体の成り行きを見ると成長が止まったように感じられます。これは、プロテスタント教会が成長した主な理由が、他の教会からの移動であるということを意味します。ですから、韓国教会の収穫期は終わり、これからは次の収穫期のための準備期間であるととらえることができます。 70年代と80年代にクリスチャンになった人たちの3分の2以上は、幼いときに教会学校に通ったか、他の過程を通して教会に対してよい記憶を持っている人たちでした。すなわち、当時教会の大きな成長が可能だったのは、その前の種蒔き期を通して準備された人たちが多かったからです。 しかし、今は再び来るであろう収穫期のために種を蒔かなければならない時になりました。では、どうやって種を蒔けばいいのでしょうか。文化研究院「塩の香り」を創立したのは、まさにその質問に答えるためでした。
よい知らせを含んだ香りを放つ 収穫期と種蒔き期はさまざまな面で違いがあります。収穫期の目標はできるだけ多くの実を刈り取ることですが、種蒔き期に必要なのは、実を得るためによい地を整えて、種を蒔くことです。教会が収穫期にしなければならないことは「神の恵みによる救い」というよい知らせを熱心に伝え、できるだけ多くの人を教会に導くことにあります。ところが収穫期が過ぎると、次はその実が放つ香りを広げ、実を結ぶ地である人々の心を整える期間です。当研究院において人々の心を整えるということは次のことを意味します。 まず、教会の公的関係、つまり社会に対する関係の改善が必要で、そのために一番重要なのは教会が社会の必要に耳を傾けることです。これまで韓国教会は収穫に忙しく、社会との関係に気を配ることができませんでした。言い換えると、教会が社会に向かって福音を含んだメッセージを伝えることに力を注ぎ、社会が教会に願っていることに耳を傾けることには疎かになっているようです。最近アメリカで発表された資料によれば、伝道の目的で接近するときに得る人数と、何かを助けて祝福するときに得る人数の比率は1:48です。これは教会が人々の必要に耳を傾けて答えるときに、人々は教会が伝えるメッセージによく反応しているという事実を示しています。ですから、次の収穫を期待するのなら、その前に社会の必要に耳を傾けなければなりません。 次に、クリスチャンが社会人として任された役割に関心を持たなければなりません。仕事は次のような普遍的な意味を持っています。一つめに、仕事はお金を稼ぐためのものです。二つめに、仕事は自分に与えられた才能を実現する場です。ある人は前者を優先して、お金をたくさん稼ぐことができるならばと、自分の適性に合っていない職場を選び、またある人は収入が少なくても自分の適性に合った職場を選びます。クリスチャンにとって職場は、また別の意味を持っていると思います。韓国のクリスチャンは、よく職場を宣教のためのお金を稼ぐところであると捉えます。つまり、お金を稼いで教会に献金をしたり、宣教師を支援することに職場生活の価値を置いているということです。このような職場のモデルを「ミッションのための職場」(Business for mission)とするならば、これとは違うモデルがあり、それは「ミッションとしての仕事」(Business as missionの略字としてBAMという)です。当研究院が提示する「ミッションとしての仕事」という概念の核心には、仕事が自己実現や隣人への愛、神の国の具現化という理解があります。この点については、この文の後ろの方で説明したいと思います。 最後に教会が新しい時代のためによい文化を準備することによって、次の収穫期を準備しなければなりません。各世代ごとに、それぞれの特性に合った特別な社会的ミッションがあります。韓国の場合、朝鮮戦争を経験した世代は、倒れた国家の基礎を据えるのに力を尽くしました。そして教会の同じ世代は、教会のリバイバルと成長を主導しました。それ以降の世代は民主化のような社会的な柱を立てる役割を与えられ、教会内でも教会の社会的機能に対する関心を向けさせることにおいて、主導的な役割をしました。 これからこの二つの世代が過ぎるとともに、また別の世代が起こっていますが、この新しい世代の特徴を理解する必要があります。まずこの世代は、インターネットとIT技術に慣れた世代であり、それを通して自分の文化的な欲求を表出し、満たしている世代です。したがって彼らのコミュニケーションの方法と媒体を扱えなければなりません。しかし、彼らの文化的欲求の裏にさらに重要なものがあることも忘れてはなりません。実は、韓国教会は1980年代後半に起きた賛美と礼拝運動を通して、若者たちの目と耳を引くほどの文化的媒体とコンテンツを多く保有するようになりました。25年が過ぎた今、一段階アップグレードした媒体とコンテンツを持った韓国教会がむしろ若者たちを失っていますが、このような現状で教会が忘れてはならないことは若者たちの心を動かすものが媒体とコンテンツ自体ではなく、それを通して伝わる愛と真実、そしてそれが与える感動であるという点です。
仕事は私のミッション 共同体は、仕事と関係という観点から大きく二つに分けられます。一つは関係中心の共同体で、もう一つは仕事中心の共同体です。前者を代表するのは家庭であり、後者を代表するのは職場です。そしてこの二つは教会が一番関心を持たなくてはならない生活の場です。二つのうち、家庭に対しては教会が一番関心を持ってきました。韓国教会の場合は、1990年以降家庭ミニストリーの重要性を悟り始め、この分野の専門家たちを立ててプログラムを開発してきました。これに比べて、職場生活に対する関心は、微々たる水準に終わりました。しかし、最近では「ミッションとしての仕事」という概念が、クリスチャンに職場生活に対するより積極的な態度を持たせています。 「ミッションとしての仕事」は次のようないくつかの意義を持っています。一つめは自分の可能性、または潜在能力を実現するもので、二つめはそれを通して顧客に仕えることで、三つめはそうやって稼いだお金を自分と家族のために、より貧しい隣人と教会の宣教の働きのために使うことです。 「ミッションのための仕事」は一番最後の三つめ、つまりお金を稼ぎ、教会に献金宣教の働きを助けることに焦点を合わせるモデルでした。ところが、このモデルには致命的な弱点がありました。それは職場生活の価値を優先的にお金を稼ぐことに置くという点でした。言い換えると、個人の才能開発や顧客に対する奉仕という次元を重要に考えていなかったのです。また他の弱点は、稼いだお金をどこに使うのかにありました。もちろん稼いだお金を教会の宣教のために使うのは重要です。しかし、職場活動の価値をお金を稼いで宣教活動のために使うことにだけ置いていたので、それがむしろ宣教を妨げる結果を生むことにもなりました。たとえば、ソウルのある幼稚園の園長は教会の長老でしたが、幼稚園を通してお金をたくさん稼ぎ、教会に献金しました。しかし、幼稚園の職員や教師たちには給料を少ししかあげなかったので、むしろその職員と教師たちは教会に反感を持つようになりました。このようなことが生まれたのは、その長老が職業に対する価値をお金を稼ぐことに置いており、自分の隣人である幼稚園の職員や教師たちに対して関心を持っていなかったからです。もし彼らの給料にも配慮があったなら、その幼稚園内からの宣教が起こっていたはずです。「ミッションとしての仕事」は、まさにこの点を重要視します。つまり職業がミッションのためのものではなく、ミッション自体なので、職種を選択することと顧客のことを考えてよい製品を作ること、同僚にやさしく接することなども、宣教の働きのための献金に引けをとらないほど、大切だということです。一言で言うと、BAM(Business As Mission)の目標は、顧客満足と職員満足を通して神を満足させることであると言えます。
新しい夢 いつも収穫期ならどれほどよいでしょうか。ところが、「すべての営みには時がある」(伝 3:1参照)。これは必然的なことです。種蒔きがあるからこそ収穫があるのです。これは種蒔きをきちんとやっておけば、いつかは収穫期が来るということでもあります。 種まき期とは、涙とともに種を蒔く期間です(詩 126:5~6)。それは収穫期を期待し、新しい夢を見る期間でもあります。このような夢を見る収穫はその前の収穫よりもさらに大きなものになるかもしれません。その理由は次のようなものです。まず教会はその間の種蒔きを通して毎回効率的な種蒔きの方法を学んできました。ですから次の収穫はさらによいものになると考えられるからです。それだけでなく、今回の種蒔きがクリスチャンが活動するすべての職場で行われたとしたら、次の収穫は想像以上に大きなものになるかもしれません。そのため、希望を持って収穫期を過ごすことができるのです。
パク・ジョングァン 文化研究院「塩の香り」院長、韓国「橋を作る人々」代表、忠信教会協力牧師
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