パク・チョルヒョン ● 総神大学神学大学院 旧約学教授
今回は「召命」について扱います。創世記12章以降はアブラハムが受けた召命を中心に展開されます。召命を扱う前に知っておくべきことは、アブラハムとその子孫の話が創世記1~11章と密接に関連していることです。その核心は3章15節の「女の種(日本語聖書では「女の子孫」と翻訳)」という概念です。「種(ヘブル語「ゼラ」)」という単語は旧約聖書で230回ほど出てきますが、その中の60回が創世記に出てきます。そのほとんどは「アブラハムの種」という主題と関連しています。3章15節で蛇の頭を踏み砕くと告げられた「女の種」は、「アブラハムの種」を通して出てきます。「種」という主題は、地(12:7)と契約(17:7~10)など、アブラハムとの約束と並行しています。 アブラハムは12章で神の召命を受けます。その召命の内容は後に、彼とその子孫の人生を通して具体的にされており、重要な事柄を整理すると次のようになります。一番目はみことばに対する従順、二番目は創造時の祝福の継承、三番目は全宇宙的な救いの管となることです。
みことばに対する従順 一番目に、アブラハムの召命は、神のみことばと御心に徹底的に従う従順な生活を要求します。神がアブラハムを召した目的は次のとおりです。「わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため」(18:19)イサクを全焼のいけにえとしてささげようとした出来事は、彼の従順な姿勢を表しています(22章)。 この従順な生き方が重要な理由は、それが善悪の知識の木に関して人類が犯した失敗を克服するものだからです。人類の最初の人アダムは、善悪の知識の木の実を取って食べてはならないという創造主の命令に従わず、神のようになろうとしました(3:4~5)。アブラハムはこのような不従順を克服する使命を受け、数回にわたって驚くべき従順な姿勢を見せました。最終的に完全な従順は、後の第二のアダムであるイエス・キリストを通して完成されます(マタ 26:39、ヨハ 19:30、ヘブ 5:8~10)。
創造時の祝福の継承 二番目に、最初の人類が犯した罪を克服する使命を持ったアブラハムとその子孫は、創造時に人間に与えられた祝福を再び味わうようになります。1章28節では「神は彼らを祝福された」とあり、アブラハムの召命の意味を込めた12章2節でも「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し」とあります。そして1章28節の「生めよ。ふえよ。地を満たせ」という祝福は、アブラハムとその子孫にも与えられ続ける約束です(17:6, 20;26:4;28:3;35:11)。また、それが成就される様子が創世記後半に記されています(47:27;48:4)。
全宇宙的な救いの通路 三番目に、創造の命令を受けた継承者としてのアブラハムの召命は、彼と直系の子孫に限られません。12章3節では、神がアブラハムに祝福を与えられた理由が「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」と明らかにされています。このみことばは創世記で何度も繰り返されています(18:18;22:18;26:4;28:14、新約では救済論的に活用―使徒 3:25、ガラ 3:18)。 「地上のすべての民族」がアブラハムによって祝福されるという主題は、創世記で実際に具現化されます。アブラハムやその子孫と関係した人たちはみな、祝福されます。ロトは、14章の戦いや19章のソドムが滅ぶ現場においても、アブラハムによって救われます。ハガルは、本来エジプトの女奴隷として生涯を送るはずでしたが、アブラハムとの結婚によって彼女の人生が変わります。彼女と息子のイシュマエルは、イサクが味わう祝福を同じように受けます(16:10;17:20;21:18)。特に17章20節においてイシュマエルが受けた祝福と約束が、17章2節と6節においてアブラハムが受けた祝福や約束とほぼ同じです。 ヤコブと関係した人々もやはり祝福されます。ラバンは自分がヤコブのおかげで祝福を味わっていると告白しています(30:27)。エサウも人生の初期に犯した軽率な失敗にもかかわらず、晩年には相当な祝福を受けます。彼がヤコブに会った時引き連れていた400人は、14章でアブラハムが争う時に引き連れていた318人より多い数です。また36章7節には「ふたりがともに住むには持ち物が多すぎて、彼らが滞在していた地は、彼らの群れのために、彼らをささえることができなかったからである」とあり、アブラハムとロトが大きな神の祝福を受けて経験した、似たような状況を連想させます(13:6)。ヨセフも彼が行く所々で出会ったポティファル、監獄の長、パロなどにとって祝福となります(39:5, 23;41:46~49)。アブラハムによって地のすべての民族が祝福されるという約束が成就したために、彼らがこのような祝福を味わったのだと思われます。
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