パク・チョルヒョン ● 総神大学神学大学院 旧約学教授
創世記は「世の始まり」という意味です。しかしそれだけではなく、堕落の始まりと神の救いの御業の始まりも扱っています。ゆえに創世記は、内容の面でも聖書の始まりです。特に創世記の重要な主題は「創造と堕落と救い」、「召命」、「祝福と因果応報」、「回復」などです。この中で今月は「創造と堕落と救い」について扱います。
創造、宇宙的な救いの始まり 創造という主題は、1~2章に出てくる創造の内容に集中的に表れています。この主題の核心をまとめてみると、次のようになります。 第一に、神は宇宙の創造主であり、これにはいくつかの神学的な意味があります。 ① 神は唯一無二の神であり、他の神に仕えること自体が真理に対して逆らうことです。 ② 神が全宇宙の唯一の創造主であるということは、つまり神が全宇宙の絶対者であるという意味です。 ③ 神が全宇宙の唯一の創造主であるということは、神が全能者であることをも意味します(エレ 32:17, 27)。 ④ 神が全宇宙の唯一の創造主であるということは、神の救いの働きの範囲もやはり宇宙的であることを意味します。そういう面において創造はすでに包括的な宣教の概念を持っています。旧約は決してイスラエル民族だけに対するみことばではありません。 第二に、創造過程の核心は形成(form-ing)と満たし(filling)です。創造の初めの三日間は分離によって時空間の枠を造り、残りの三日間はその内側を満たします(下の図表を参照)。 第三に、創造の六日間の後、神は七日目を聖であるとし、祝福されます。堕落の後、世はこの聖なる最初の安息日の回復に向かって進んでいます。 第四に、人が「神のかたち」に似せて造られたというみことばは、この世での人間の位置について示しています。 ① 神のかたちに似せて造られた人間は、右の図表のように、各々上と下に線が引かれている存在です。人間が造られた存在であるという点は、人間が創造主なる神ではなく、被造物の一部であることを示しています(図表上)。人間が神のかたちに似せて造られたということは、人間が他の被造物とは区別された特別な存在であることを示しています(図表下)。 ② 神のかたちに似せて造られた人間は、垂直関係と水平関係をきちんと維持しなければなりません。垂直関係では、かたちの根源である神にしっかりと仕え、神の代理者として世を正しく管理しなければなりません。水平関係では、神のかたちを共有する他の人間たちと正しい関係を維持しなければなりません。
堕落、反逆の欲望 神のかたちに似せられた人間が陥りやすい最大の誘惑は、自分をかたち造ってくださった創造主なる神と混同してしまうことです。初めに人間が受けた唯一の禁止事項である「善悪の知識の木からは取って食べてはならない」は、人間が神の命令を受ける位置にある存在であることを示します。ですから人間が善悪の知識の木から取って食べる行為は、神との間に引かれた一線を越えようとする欲望の表れです。ですから「あなたがたがそれを食べるその時、…あなたがたが神のようになり」(創 3:5)という蛇の言葉は、人間の欲望の中に深く入り込みました。実際に善悪の知識の木の実は、禁止線の象徴にすぎません。この線を越えたからといって、直ちに死んだり人間が創造主になったりはしません。
救い、神の力 神の救いの働きは、人間の堕落の瞬間から始まります。人間が作った腰のおおいと、神が作って着せてくださった皮の衣の対比(創 3:7, 21)は、結局救いが人間の力ではなく、神の力によってなされることを象徴しています。また3章15節の「原始福音」は、この救いが女の「種」(聖書には「子孫」と訳されている)を通して来ると言っています。「種」という主題は、アブラハムをはじめとする創世記のすべての族長が受けた約束の核心であり、これはまことの「種」となるイエス・キリストによって成就します。
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