|
霊的な礼拝者として
|
信徒が目覚めるとき |
|
FGBジャパン会長 ● 塚本謙一郎
私が結婚して間もなく、まだ20代後半だったと思いますが、アメリカのシアトルからクリスチャン・ビジネスマンの一行が来て、私の教会(アッセンブリー御影神愛キリスト教会)で証しすることになりました。当時、かろうじて英語の通訳ができそうなのは私しかいないということで、牧師先生に頼まれ、彼らの通訳をしました。 通訳をしているうちに、「この人たちは一体どういう人たちだろう」という思いが湧き上がってきました。ビジネスマンというからには普通の信徒であるはずです。ところが講壇に立つやいなや、生き生きと力強く自らの体験を証しし、会衆がその証しにぐいぐい惹きつけられていきます。そして大胆にみことばを語り、人々を信仰の決心へと招き、最後には病の人々を前に呼び出し、手を置いて大胆に祈り始めたのです。しかも、次々といやされるではありませんか! 彼らはフルゴスペル・ビジネスメンズ・フェローシップ・インターナショナル(FGBMFI、略称:FGB)のメンバーだと言いました。聞いたことのない団体名でした。そして、自分たちは普段は仕事をしながら、日曜日には教会にもきちんと通う、普通の信徒なのだと言いました。 私は衝撃を受けました。普通の信徒にどうしてこんなことができるのか。しかもわざわざ休暇を取り、自分でお金を出して、海外にまで出かけて行き、自らが体験した神の愛、神の力、そして救いのすばらしさを人々に伝えているというのです。そんなことは、献身して神学校に行って、牧師か宣教師にでもならなければできないと思っていた私には、まさにカルチャーショックでした。 その後も彼らは何度も日本に来てくれて、そのたびに各地でバンケット(夕食会)を開き、知り合いになった日本人を招いては、自分たちの体験を証ししました。彼らを通して次々と人々が主を信じ、病からいやされ、解放されていくのを私は見ました。 「信徒にもできるんだ。主は普通の信徒でもこのように力強く用いられるんだ!」私はうれしくなり、いつか自分も彼らのようになりたいと、あこがれにも似た願いを持つようになりました。 あれから25年以上が経ちました。当初は何をしていいのか分からず、海外からメンバーが来た時に、かばん持ちのようについて回るだけの私でしたが、それでも地道に(怠惰で飽き性の私にしては不思議です…)活動を続けている中で、主は私のような愚かな者をも見捨てず、導き、教え、用いてくださいました。そして、ふと気が付けば、海外にまで出かけて行って、主のすばらしい御業を証しし、人々を救いに導き、手を置いて病をいやし、悪霊を追い出している自分がいました。ハレルヤ! FGBは、今からちょうど60年前に、アメリカの酪農家・実業家であったデモス・シャカリアンという方によって創設されました。最初の一年間はまったくうまくいかず、完全に行き詰まったかに見えました。しかし、そのようなときに主は、実際の光景を見ているかのような不思議なビジョン(幻)をデモスに見せられ、このグループが全世界で罪と不幸と死の恐怖のやみの中にいる人々に光を与え、救いと解放へと導くようになることを示されたのです。 不思議なことに、その幻が与えられた翌日から、デモスのもとに、教団・教派に関係なく、クリスチャン・ビジネスマンたちが続々と集まり始め、FGBの働きは瞬く間に全米各地に、そして全世界へと広がっていき、行く先々で多くの人々がイエスを信じ、救われていきました。彼らの働きを見たある伝道者がこう言ったそうです。 「デモス、『普通の信徒たち』こそ、終末の時代の福音宣教における『眠れる巨人』だ。そして、FGBはその巨人を目覚めさせ、宣教に立ち上がらせるために、神が始められたミニストリーなのだ。」 さて、このように教会の外の世界で、普通に暮らし、働いているクリスチャンたちが、仕事や社会的交流を通して知り合った人々に積極的に証しし、彼らを神の国に導き入れる働きを「マーケットプレイス・ミニストリー」といいます。私はFGBの働きで毎年のように海外に出かけますが、最近はどこへ行ってもこの言葉を耳にするようになりました。特に、クリスチャンが増えている国々ではそうです。日本でも少しずつこのミニストリーの重要性が認識されつつあり、FGBだけではなく、インターナショナルVIPクラブ、CBMCなど、クリスチャン・ビジネスマンによる活動が広がってきていることは喜ばしい限りです。もちろん、このような団体に入らなくても、クリスチャンであれば誰でも、老若男女を問わず、「マーケットプレイス・ミニストリー」ができます。いや、するように期待されています。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタ 9:37~38)。 今後、日本において「マーケットプレイス・ミニストリー」が正しく理解され、混乱なく展開されるために、お伝えしたいことは山ほどありますが、いくつかの基本的な考え方のみを述べたいと思います。
1.教会の外での働きです 「ミニストリー」という言葉の意味ですが、これは主権者(私たちの場合は神)から託された仕事のことで、それに従事する人を「ミニスター」といいます。神はすべてのクリスチャンになすべき仕事を用意し、その仕事に呼ばれます(コーリング=召命と訳されます)。ある人は教会の中で仕事をすることで神に仕えるように、ある人は教会の外の仕事を通して神に仕えるように呼ばれているのです。牧師先生は前者であり、マーケットプレイスに召されている私たちは後者であると言えます。この「働きの場の違い」「コーリングの違い」を理解しないと、無用の混乱を生む可能性があります。教会では一信徒として、先生方の働きを尊重することは当然のことです。
2.私たちの仕事はミニストリーです マーケットプレイス・ミニスターにとって、仕事は神から召されたミニストリーです。与えられた仕事に感謝して、神に仕えるようにその仕事に取り組むのです。このことが理解できると仕事に対する姿勢が変わります。昨日までと同じ仕事をしていても、それが自分に与えられたミニストリーだと分かったときから、仕事の意味が違ってくるからです。神に呼ばれたミニストリーであれば、そこに必ず聖霊の油注ぎが来ます。仕事が祝福され、神の栄光が現れ、周囲の人々に良い影響を与えるようになります。そして、それが人々に証しする機会を生んでいきます。
3. 信徒という「引け目」を感じる必要なし 牧師先生のミニストリーも、マーケットプレイスにおける私たちのミニストリーも、それが神から呼ばれたものであれば、その重要性に変わりはありません。 ここは大切なところです。日本や韓国などは儒教の影響を強く受けているため、牧師先生方を極端に上に置き、信徒である自分たちは下であるとして、キリストの体の中に「上下関係」を持ち込んでしまう傾向があります。これは危険です。先生方を尊敬するという意味は、その働きの大切さを理解し、その立場を尊重することであって、儒教的な上下関係ではないと私は考えます。たとえば、野球のピッチャーとキャッチャーの関係を考えてみてください。役割は違いますが、どちらも大切な働きです。どちらが偉いと言うことではありません。ポジションを決められるのは監督(神)なのですから。 「信徒だから」「信徒なのに」という考えは、かつての私もそうでしたが、必要以上に自分たちを卑下し、委縮させ、「眠れる巨人」を眠ったままにしてしまいます。
4.まずは土台作りから どのようなミニストリーでも、最初から華々しい働きができるものではありません。ミニストリーを建物にたとえると、まずは土台作りから始まります。大きく立派な建物にしようと思えば、それだけ深くしっかりとした土台を、時間をかけて作らなければなりません。その土台とは「神のみことば」です。FGBのメンバーは、少なくとも年に1回は聖書(旧約・新約)を通読することになっています。できれば一日に16章(旧約5章、新約5章、詩篇5篇、箴言1章)読むように勧めており、実際に毎日これだけ読んでいるメンバーもたくさんいます。その中で、主から多くの知恵を与えられ、祝福を与えられています。また、みことばに従って正しい夫婦関係・親子関係を築き、家庭が安定していることも大切な土台です。夫は神の権威の前に自らを低くし、妻は夫の権威の前に、そして子どもたちは両親の権威の前に自らを低くしているでしょうか。そして、愛によって一致しているでしょうか。
教会の信徒、特に壮年のビジネスマンたちが聖霊に満たされ、「ミニスター」という自覚をもってマーケットプレイスに出て行き、仕事で活躍し、人々を神の国に導く。救われた人々が教会に集い、共に主を賛美し、礼拝する。牧師が彼らを励まし、教え、整えて、またマーケットプレイスに送り出す。そこで彼らが神の栄光を現し、人々を神の国へ…。そのような循環が生まれるなら、なんとすばらしいことでしょう。礼拝が活性化し、教会が活性化し、地域にまで影響を与えるものとなるでしょう。 イエスは「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」(マコ 16:15)と言われました。これは、すべての信徒に与えられた命令なのです。
塚本謙一郎 高校時代に洗礼を受け、大学ではキャンパスクルセードなどで学生伝道に取り組む。 現在、神戸の高校で英語を教えている。約26年前に世界最大のビジネスマン宣教団体FGBMFIと出会い、「マーケットプレイス・ミニストリー」に目が開かれ、日本での活動に精力的に取り組む。現在はFGBジャパン会長の他、FGBMFIアジア担当副会長、および国際理事も務めている。
|
|
|
|
|