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霊的な礼拝者として
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礼拝の在り方―世に仕える教会 |
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本郷台キリスト教会 牧師 ● 池田博
クリスチャンのいのち、それは礼拝にあります。 主日の礼拝で主に出会い、主からいのちの糧をいただく。それは、何より新しい一週間の愛の励ましであります。そして、そのいのちの糧こそ、新しい一週間の生きる力であり、問題に立ち向かう活力であります。 教会は信徒一人一人が、礼拝で糧をいただき、いのちの力をいただいて世に遣わされて行く、派遣の場なのです。 その意味で、教会は遣わされた世から帰って来るところであり、また、愛、いのち、力を頂いて遣わされて行く、派遣の場です。 ですから、教会は、世のさまざまな問題、生きる悩みの只中にあって、世の中の動き、流れと共にあって、世に仕えるものでなければなりません。 今回私は「世に仕える教会」ということで考えてみたいと思っています。 具体的には、世に仕える教会とはどのようなことでしょうか。それは教会が今置かれている時代、またその社会、またその地域の特性にいかにマッチした教会として存在できるかが問われていると言えます。 そのことは、すなわちクリスチャンたちがその時代、その社会で、生き、戦っている、その現場に、教会は、いかにクリスチャンを力づけ、送り、勝利に導いていく原動力となることができるかが使命であります。 今日の教会、特に日本の多くの教会は、世に仕える教会でなく、世から遊離したところに、孤立して存在しているように思えてならないのです。 教会の門は、どなたでもお入りくださいと書いてありながら、日曜日以外はほとんど閉まっていて閉ざされています。そして何をしているのかが見えないのです。 極端な話、教会の隣りの人が教会が何をしているのか全く知りません。隣りの人にしてみると、教会は全く無関係な存在なのです。もちろん、教会はその隣りの家に特伝のチラシを配り、教会の集会案内を配るでしょう。しかし、そこで配られる集会の案内はいずれも、祈祷会、家庭集会、教会学校、あるいはコンサート、講演会などの案内です。 それに導かれて教会に来られる人もいます。しかし、それだけでは隣りの人にとっての生活や生きる悩みや、行き詰まった問題には何の接点もないのです。隣りで、生きることに悩み、苦しみ、戦っているのに、何の手も差し伸べられていないのです。ただ、たまたま物理的に隣りに置かれた存在にすぎないのです。時に迷惑で無関係な存在でもあるのです。 それでは「世に仕える教会」とはどのような教会でしょうか。私は開拓伝道を志した最初から、教会は世に仕える教会でなければならないと思い、取り組んで参りました。 まず、第一に大事なこと、それは教会の看板に偽りがあってはならないということです。よく教会の看板に、次のようなイエス・キリストのみことばが書かれています。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ 11:28)。 しかし、教会は、このキリストのことばにどれほど応え、どれほどの備えをしているでしょうか。私自身がこのみことばを掲げて、痛切に自己反省をさせられたのです。 ある時、教会に見るからに貧しそうな人が訪ねて来ました。その人はこう言うのです。「自分は国に母がいて、今病気で困っている。早く行って助けてあげたい。しかし、今お金が全然ない。だから行ってあげられない。そのため助けて欲しい、親のもとに行くだけの旅費が欲しい。何とかしてください」と。 その時、私はその話を聞いていて、どうしても本心とは思えませんでした。適当にうそをついて、お金を取ろうとしているだけに過ぎない。決してだまされてはいけない。聞いている間に強くそう思ったのです。そのため私はこう言いました。「そういうことなら警察に行ってください。今は、警察は困っている人を助ける制度がきちんと整っていますから」と。すると、その人はやや開き直って言いました。「おれは外の看板を見て来たのだ。看板に、困ったら助けてやると書いてあるではないか。あれは何なのだ、うそを言っているのか」と。私は心でしまったと思い、しかし、引っ込みがつかない中で、一部のお金と食べ物を少しあげて帰ってもらったのでした。 教会には、こうした人は必ずやって来ます。そして、一度あげてしまうと、必ずまたやって来ます。私は、神学校や先輩たちから、よくよく気をつけるようにと教えられ、くぎを刺されていました。ですから、実際に直面した時、甘い汁を求めて来る者に対して、どう対処するか、どう撃退するのかばかりを考えていました。すなわち、教会の看板のことば、また人々にどのように仕えるのか、といったもっと大事なことには目を向けていなかったことに気づかされたのでした。 最初、教会は地域にどのように仕えるかを考えていたはずなのに、働きが始まった時、私は守りの姿勢、いかに教会を世の中の悪い者から守るかを考えていたのです。そして、改めて地域に仕える教会の在り方に目を留めるよう直されたのでした。 地域に仕える教会とは何か、どの様に仕えるのか。私は改めて、今現在教会が置かれている現状に目を留めてみました。すると、いかに教会には、心痛み、精神的に行き詰まった人が多く来るかに目が留まりました。その時、最初、私の反応は、そういう人は確かに助けなければならない人たちではあるけれども、伝道の働きの戦力にはならない。ですから、私はクリスチャンの精神科のドクターを探し出して、そこに紹介をすることにしたのでした。 そんな中で、ある時、信徒の一人がカウンセリングを本格的に学んで、そうした心の痛んだ人たちのために取り組みたいと申し出てきたのでした。それを聞いて、どんなにか、私は喜んだことでしょう。私は主が起こされた人、働き人であると思い、喜んで学びに送り出しました。やがて、その姉妹は、カウンセリングのインストラクターの資格を取りました。そして、教会の中でカウンセリングクラスを始めたいと言われたのです。 それを聞いて、私はまず役員会にその話をもちかけました。というのは、教会員の中にはカウンセリングは伝道の働きと相容れないのではないかという考え方の人がいたからです。私自身は地域に仕える働きとして大事なことであると認識していたので、少し時間をかけて理解を得たのでした。 この働きを通して、やがて多くの障害を持ったお母さん方が教会に導かれるようなりました。そこから、問題は子どもだけでなく親にもあり、さらにはその解決は単にカウンセリングだけでなく、子どもにも自分たちのできる作業があり、またその仲間もいる。そうしたことで彼らなりの生きがいを見出していきました。そのお手伝いをするということが大事であることが見えて来たのでした。今は地域の養護学校との連携のもとで、働きが広がってきています。今日、障害を持った多くの方々に対して、教会は門戸を開き、受け入れ、広がってきています。 今、また大きく問題になっているのが、児童虐待、またいじめです。 教会員の一人が、児童養護施設に勤めていました。担当していた子どもが一人、自宅に帰された時に、親の虐待にあって殺されてしまったのでした。その現実を目の当たりにした時、この姉妹はどうしても教会で、そのような保育に欠ける子どもを見せられて、教会がキリストの愛で行うことに強く迫られて、手を上げたのでした。ほかにも、教会でこそ、「愛されて育つ保育」をしたいと祈っている保育士もいました。そこから、やがて教会で保育園を始めることにつながっていきました。さらに、家庭内にさまざまな問題を抱えている背景が見えてきました。そして、ファミリーサポートノアという名前で地域に仕えることになりました。 また、学校に行けない子どもたちも大勢います。虐待、いじめ、親の離婚などによって適切な教育が受けられない子どもが多くあります。子どもたちの背後に潜んでいる、家庭の厳しい状況があります。そうした状況を踏まえた中での教育を考えていく必要があります。これも今、地域に仕える教会の大事な課題です。 また、普通の家庭の中にも課題はあります。教会は、2005年から具体的にこのことに取り組み始めて、のあインターナショナルスクールとして働きをし、スタートしています。 今、また大きな課題は、日本はかつてない高齢化社会になってきているということです。その高齢者にどのように仕えていくかも大事な問題です。最初、教会は、小さくボランティアミニストリーとしてスタートし、福祉ミニストリーとなり、今はファミリーサポート泉として活動をしています。具体的に活動している人たちは70~80人がいます。皆さんヘルパー2級の資格を持っています。ここにも地域の大きなニーズがあることが見えてきて、毎日多くの働き人が地域を飛び回っています。 ここまで、私は一般論でなく、より具体的に、自分の教会で行っていることを通して、地域社会のニーズに応える教会について述べてきました。それは、地域社会に溶け込み、地域にあって埋れてだれにも顧みられない人々、でも一番助けを必要としている人々、普段の生活の中では見えてこないところに手を差し延べること。そこは、教会の看板では決して届かないところです。地域の行政の窓口にはそうした人々が駆け込んだり、登録されているのですが、プライバシーの問題があるため、外には見えてきません。まず、教会が地域に普段から地道に仕えていくとき、行政の窓口は教会に目を向けてくれます。さらには、行政から声が掛けられ、共に取り組むことも出てきます。 こうして、教会は、地域に根差した働きができていきます。教会は、地域とともに共生していくのです。
池田博 1937年、東京生まれ。高校生の時、初めて教会の礼拝に出席する。大学受験の時、失敗して、人生に失望し、落ち込んでいた時、マタイの福音書16章24節のみことばで救われる。1958年11月に洗礼を受ける。大学の研究室に勤務していた1963年、主の召しを受け、献身する。1964年東京聖書学院入学、同校1967年卒業。1969年横浜市栄区で開拓伝道に従事。同年、登喜子師と結婚。70年、71年2人の男子誕生。長男、聖献、次男、恵賜(本郷台キリスト教会牧師)。著書には『祈りは私を変え、教会を変える』(いのちのことば社)などがある。
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