田野秀康 ● クリスチャン・リンク名護チャペル 牧師、宣教師
「リビングライフ」の特徴 私は、個人的に「リビングライフ」のバック・ナンバーをそろえて、毎日の「QT」に加え、いろいろな形でリビングライフを活用させてもらっています。月刊QTガイド「リビングライフ」は、みことばの釈義(人のことば)にあまり深入りせず、みことばそのもの(神のことば)を提示しているように私には感じられます。ですから、たいへん使いやすく、インスピレーション、あるいは、霊的な導きと恵みを、偏見なしに感じとることができます。 霊的作業QT もっとも、「リビングライフ」をただ読むだけでは、読書や聖書研究の時間になり、頭だけの作業、いわば、知的作業になってしまいます。そこで、どうしても必要なものは、QT(Quiet Time ―静思の時)です。みことばを読んでは、それを神のことばとして、霊感をもって味わい、神様に思いを向ける、霊的作業―「静思の時」―QTが肝要かと思われます。 QTの身に付いた礼拝者、働き人 さて、ここクリスチャン・リンク名護チャペルでは、「リビングライフ」を文書伝道の一環として捉え、教会員全員にそれを無料で配布しています。なぜでしょうか。教会員にこそ伝道(?)が必要だからです。みことばを読み、QTをせずに彼らの成長はありません。名護チャペルの成長は、QTなしには考えられないからです。またさらに、断られない限り、関係者にも気前よく、直接・間接に差し上げたり、あるいは郵送したりしています。 ですから、私たちの教会では、伝道費の中で「リビングライフ」に向ける費用が一番大きなものになります。このことを、開拓伝道以来、続けています。皆が、QTの身に付いた礼拝者、働き人であってほしいと、強く願っているからです。 「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハ 4:24)。「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです」(ヨハ 4:23)。神様が、ここ名護チャペルにおいても、真の礼拝者、働き人を求められていることを強く感じます。 「リビングライフ」の活用方法 私たちの「リビングライフ」活用法は、各自の毎日の個人的使用に加えて、毎日曜日の礼拝(第一礼拝:スタッフ向け)と毎土曜日の早天祈祷会での使用です。「リビングライフ」そのものから恵まれたという証しはよく聞くところですが、その先さらに、彼ら自身の証しから、お互いに恵まれるような、霊的成長が待たれるところです。実際のところ、聖書を毎日読むことすら難しい段階の人々もいます。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」(伝 11:1)。「宣教とは、水の上にパンを投げるようなものだ」と聞かされていますから、主に期待して「いのちのパン」であるみことばなる「リビングライフ」を提供し続けるつもりです。 時間を割き、自分自身をも割く 毎日の生活の中で、「リビングライフ」のために時間を割くことは、ディヴォーション・タイムとして、私たちクリスチャンには欠かせないことです。しかし、リビングライフを最大限に活用し、クリスチャンとして成長するためには、自分自身をも割くことがどうしても必要なことかと思われます。これこそ、ディヴォーショナル・タイムです。すなわち、神様に時間だけではなく、自分自身をもささげるのです。ことばを変えると、自分の心をすべて神様の前に、さらけ出すことです。これこそが、「静思の時」QTの究極の意味ではないかと思われます。このQTこそが、聖書を読むことの恵みにつながるものであると思われます。 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(Ⅱテモ 3:16)。聖書は、神の息吹です。「『神様、私に話しかけてください』と祈りながら読む」との、先人の英知に学ぶまでもありません。この姿勢で取り組むならば、聖霊様の語りかけがあり、主との交わりが豊かになります。そして、やがて「QTを通して成長する教会」となることを信じます。わが名護チャペルも、この恵みにあずかると信じて祈っています。アーメン
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