|
霊的な礼拝者として
|
嵐の中に臨む、神のみことば |
|
世界宣教センター牧師 ● 坪井永人
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Ⅰヨハ 1:7)。 ここに記すことは、2011年3月11日(東北大震災)から現在に至るまで、私の中に語られた主のみことばの軌跡です。
「主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。『…あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全会衆は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける」(出 12:1, 6, 7)。 「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない」(出 12:13)。
放射能汚染が福島の全地を覆ったとき、私たちはこのみことばを想った。それは、ひそやかに忍び寄り、息を吸うことさえできなかった。政府は、事故の終息宣言を出したが、ここに住む者たちはだれも、死の影が去ったとは思っていない。 この文章を書いている2月初旬の段階で、福島から転出している人々の数は3万5千を数え、移動している人々の数は6万を越えていると言われている。状況は良くなっているどころではなく、状況がわかってくるにつれて、人々の心は重くなってきている。 史上、人々が最も暗やみを見たのは、モーセがエジプトを出た時であろうか。その時に、贖いの血潮が注がれた。やがて、ゴルゴダの丘の上に、イエスの血潮が流された時、すべての罪が贖われた。私たちは救われたのだ。 福島の現状を見るとき、十字架のほかに救いを見出すことはできない。その意味で、私たちは、史上最も恵まれた場所に生きているとも言える。福島の現状の中に、十字架の血潮を求めよう。それが、すべてを解決する唯一の道だ。 3月12日、福島原発の1号機が水素爆発を起こした時、私たちはほとんど情報を与えられなかった。20㎞圏内の人々は、その意味では幸運だったとも言える。彼らは危険を告げられた。県内のほとんどの人々は、テレビの画面から流れるニュースでしか、情報を与えられなかった。12~16日、四つの原子炉が爆発する間、自分たちは安全だろうと日常を続けていたのである。韓国のTV会社の責任者が、「先生、私たちと一緒に大阪に避難しましょう」と言ってくれた時も、過剰な反応としか思えなかった。しかし、その時、死はひそやかに福島を覆っていたのだ。 私たちが自分の置かれている状況に気付き始めたのは、信頼する政治家のことばを聞いてからだった。4月初旬の段階で、政府中央では、住民の県外避難と福島全土の除染という考えがささやかれていたようだ。200万人の移動と全国2位の広さを持つ国土の除染。それは、再生の手段が不可能に近いということを意味する。すでに、南相馬7万人のうち5万人が避難していると伝えられていた。福島が崩壊する、恐れは伝染病のように広がっていった。 私たちの周囲の、子どもを持つ親たちが、真っ先に移動し始めた。福島県には、20万人以上の児童(15歳以下)がいる。乳幼児は2~3万人はいるだろう。教会も多く被災していたので、外からの援助の多くは、教会に対するものであったが、落ち着くにつれて、主は私たちの眼を恐怖の中にいる人々に向けられた。 状況をよく見ると、死の風が吹いていることがわかった。12~16日の、原発のメルトダウンによって、死の塵が北西に北上し、福島から南に下ったことが、Speedy(放射能汚染予測システム)によって分かる。住民によるサーベイメーター(放射能測定機)の実測によっても、それが検証された。危険なのは、避難した20km圏内ではなく、まだ人々が生活している飯館、川俣、伊達、福島、二本松、郡山なのだ。この範囲の子どもたちが危険だ。知らされるにつれて、移動する子どもたちが増えていった。飯館はついに8月30日で全村避難となった。私たちは必死で子どもたちの罹病データーを求めた。信頼する医師に尋ねても、3歳以下の乳幼児の放射能症罹病データーは出てこなかった。このままでは、この地方の社会崩壊が起きる。どこかで、子どもたちのいのちを守るために行動する方針を、決断をしなければならなかった。子どもたちのいのちを守りながら、福島の社会崩壊を起こさせないようにする。どうすればこの相反する命題を全うできるのか。環境の険しさが私たちを祈りの中に導いた。 福島の現状の上に、十字架の血潮を求めよう。血潮は静かに注がれていった。 耳を傾けるにつれ、私たちの心の中から放射能の恐れが薄まっていった。主が私たちに悪いことをなさるはずはない。千年に一度の災害は、千年に一度の祝福のチャンスなのでは? 血潮が私たちの心を満たすにつれて、絶望は希望に変わり、希望は勇気を生みだした。 最も危険なのは、乳幼児、それも妊娠中から生後1年以下の幼児だ。そこに焦点を置いて、主のいやしを注ぐ行為を始めよう。もちろん、それ以外の児童が無害だとは言い切れない。しかし、彼らは親の庇護の中で、身を守る可能性を持っている。胎児、新生児の危険性は、その幾倍にもなる可能性がある。私には、長年、援助のプロとして学んできたことがある。緊急の場合は、取り返しのつかないことから優先するということ。この場合は、放射線によってDNA損傷を起こす可能性の高い胎児、乳幼児のいのちを救うことを最優先にすること、それが祈りの中で聞いた声だった。「これは戦争だ。子どもたちのいのちを奪おうとする者との戦いだ。」躊躇することはできない。この場にいる私が戦わなければならない。 どうすれば、いいのか?まず、水を配ろう。水がいのちの根源だから。いくら配ればいいのか。胎児、乳幼児は2~3万人。しかし、親たちは納得しないだろう。せめて幼稚園児、小学生までには配らなくてはならないだろう。そうすると、17~18万人になる。500mlペットボトルの水を、1日1本配っても、18万本必要。およそ10tトラック9台になる。陸送費は1台15万。90tの水を置く倉庫は、200坪位が必要となる。おおよそ、この地方で倉庫代で月50万円かかる。私たちには不可能な数字だった。しかし、それしか子どもたちのいのちを守る方法がないなら、やらなければならない。まず、東京の峯野牧師から水が、大川牧師から倉庫費用が届いた。明日はどうなるかわからなかったが、200坪のストックポイントを設営した。グラハム伝道団から、クラッシュから、秋田から、大阪から。NRAは、10台分のトラック代を送ってくれた。2011年12月までに300tが子どもたちに届けられた。 重い水を運びながら、主の声を聞いた。「わたしは、あなた方とともにいる。わたしは、ここにいる。」千年に一度の災害は、千年に一度の主の臨在に包まれていった。最も不幸な者が、最も幸福な者に変わった。嵐の中の不可能な情勢の中で、不可能を可能にする術を学んだ。FUKUSHIMAの再生は、世界の再生に繋がっている。確かに千年に一度の祝福に、私たちは出会っているのだ。嵐は、どの時代にも吹くだろう。しかし、嵐の中に立つ術を知る者のみが、社会を守ることができる。今、福島に吹いている風は死の風だ。しかし、これは、21世紀を救う風になるだろう。日本のリバイバルが近づいている。最も激しい嵐の中から、主の声を聞く者が、それを導くものとなるだろう。 2012年1月、水を配り続けた「FUKUSHIMA いのちの水」はNPO法人になった。赤い羽根共同募金をはじめとする、さまざまな公的支援団体が助成を申し出てくれた。この文章が読まれる頃には、「ひとりの子のいのちを救うために」のシンクタンクであるデジタル神学校が始まり、そこからの情報を流すためのインターネット放送局が立て上げられ、それらの延長線上で、FUKUSHIMAの子どもたちのいのちを救うという一つの命題のために、世界中のクリスチャンがオンライン・コラボレーション・プラットホーム(ラストマイルプロジェクト)上で作業をしているだろう。あの嵐の日から1年の時間が流れ、神の時は粛々と流れ始めた。 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」(マコ 9:37)。 主の語りかけに応えて、「ひとりの子のいのちを救うために」始めた行為は、FUKUSHIMAから、世界に流れ始めた。嵐の中で主の声に応えて歩み始めた、小さな主へのささげものが、今、世界を覆う礼拝になろうとしている。
坪井永人 1945年1月1日、福島県郡山市生まれ。市内小中学校を経て、県立安積高校卒。早稲田大学教育学部中退、坪井木材入社。1984年倒産後、1988年アジア教会成長神学院卒業。1989年郡山開拓伝道キリスト愛の福音教会主任牧師。2009年世界宣教センター牧師。 HMC住宅伝道社(2×4タウンハウスランドプラン)、スズランハウス(女子アルコホリック中間施設)、坪井病院ホスピス(日本型 第1号)、J2TV(Jesus Japan TV)(スカパー、CGNTV配給)を設立する。
|
|
|
|
|