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喜びの霊性⑦
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環境を越えた喜び② |
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カン・ジュンミン ● ニュー・ライフ・ビジョン教会 主任牧師
人々は、環境が幸せを決定するものの一つであり、喜びの絶対要素であると信じています。しかし、これは間違いです。幸せは、心から生まれます。同じ環境でも、幸せな人もいれば、不幸な人もいます。何を喜びの根拠とするかを選択してください。喜びの理由を何に定めるかによって、環境を越えて喜ぶことができます。また、自分の持っているものではなく、残っているものを喜んでください。神は、私たちが持っているものを通してみわざをなしてくださいます。では、次の知恵を見ていきましょう。
難しい環境を用いる知恵 難しい環境を有益に用いるためには、神の摂理の目で環境を見る訓練が必要です。パウロが、自分の難しい環境と人間関係の中でも感謝できた理由は、自分のいる環境を神の観点から見たためでした。パウロの環境は、この世の人からはみじめなものでした。しかし、パウロはそれを神の祝福の機会として見ました。 「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います」(ピリ 1:12)。この時、パウロはローマの牢獄の中にいました。くさりにつながれ、すべてを奪われ、友人や書物、愛する人々から引き離されていました。自由もプライベートもないというのが、パウロの環境でしたが、パウロはこの環境を福音を伝える機会として用いることにしました。 パウロは、ローマ兵に24時間監視されていました。看守は6時間交代でした。ですから、最低4時間以上はともにいる看守に、福音を伝えることができました。それは、カイザルの家に属する人々にまで広がりました(ピリ 4:22 参照)。 そして、ネロの皇后とその家族までがイエス・キリストを信じるというみわざが起こりました。パウロは、すべてのことを福音の機会として見ました。ローマに連行されたのも神の恵みであり、投獄されたのも神の機会でした。それは、カイザルの家族に福音が伝えられるという機会だったのです。 難しい環境の中にあるとき、その状況をどのように用いるかを考えてください。パウロは獄中にいながら、福音を伝えました。そして、手紙を書き送りました。いわゆる獄中書簡です。 ヨセフもまた、自分の難しい状況を用いることを知っていました。パロの廷臣で侍従長のポティファルの家で全財産の管理をしていました。ヨセフがポティファルの家に売られていかなければ、全財産を管理する方法を学ぶことはできなかったことでしょう。また、2年間の監獄生活も機会として用いました。エジプト王の献酌官と調理官の世話をしていたとき、彼らに誠意を込めて仕え、彼らの夢の解き明かしをした結果、パロに会うことができました。何よりも、ヨセフは、監獄の中で人について学びました。不条理に投獄された人を通して人間を学び、重罪人を通して人を経験しました。ヨセフは、監獄生活を浪費して過ごすことはしませんでした。 どんな環境の中にいても、そこで何をすることができるかを考えてください。学べることは何か、未来のために準備できることは何かを考えてください。このような話を聞いたことがあります。 「デトロイト市で自動車のセールスマンだったロバート・ウィルキンスは、1951年朝鮮戦争に従軍し、北朝鮮の捕虜となった。捕虜収容所の生活は、だれにとっても失われた時間でしかなかったが、ウィルキンスはそれを機会として考えた。 収容所で生活する大多数の人々は、食べ物と女性の話で一日をつぶした。時折、解放後の計画や希望を話すこともあった。故郷に戻ったらどんな自動車に乗るかという話が出ることもあった。明日の運命もどうなるかわからない状態で、ウィルキンスは話をただ聞き流しはしなかった。彼は、捕虜になっている者たちの名前と住所を手帳に書き記していった。その手帳には、3,272名の個人情報を書き留めることができた。 休戦となり、故郷に戻って復職したウィルキンスは、捕虜生活をともにした者たちを探して、特別割引を提示して自動車購入を勧め、500台を販売するという実績を上げた。彼こそ、逆境の中で来たる未来への希望を抱き、準備をし、機会を作り出した、機会活用の名手であると言える。」 神の人に訪れる問題は、神の機会です。神は、私たちが直面する問題を通して、神の御心をなされます。ですから、パウロの難しい環境は、福音を伝える機会となったのです。パウロは、問題の中で機会と勝利の神の御腕のわざを見ました。人間の絶望の中で、神の希望を見ました。人間の限界線を超えたところから、神の限りない可能性が始まることを経験しました。 忘れないでください。環境よりも大切なのは、それを見る目です。出来事よりも大切なのは、その出来事を解釈する力です。神の観点から環境を見るならば、難しい環境や問題、試練の中でも喜ぶことができます。「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」(ヤコ 1:2)。 神は、すべてのことを働かせて益としてくださいます。困難に直面するたびに、何度も黙想するみことばがあります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ロマ 8:28)。 一般的に、人は環境の奴隷となって生きやすいものですが、知恵のある人は環境に適応する方法を知っています。貧しいところにいても、豊かなところにいても、そこにいる方法を知っている能力こそ、環境に適応する能力なのです。環境の変化にすみやかに適応する能力によって評価されることもあります。鷲が風に乗るように、環境という風に乗って飛ぶのです。 非常に秀でた人は、環境を治め、環境を作り出します。難しい環境を美しいものにするのです。私たちが召されたのは、環境の奴隷になるためではありません。神が人間を創造されたとき、すべてを治めるように命じられました。「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ』」(創 1:28)。 環境の中で、神の御腕のわざを見たならば、その環境に従ってください。イエスも十字架という状況に従いました。十字架を神の御腕のわざとして見られたからです。 勝利を収めるクリスチャンになるためには、神の目で環境を見る訓練をしなければなりません。今、あなたのいる環境はどのようなものですか。悲惨なものですか。難しいものですか。神の目でその環境を見てください。 パウロの目に映るものを、神の目から見たとき、それは神の力を現す道具となりました。パウロの監獄を伝道する場所とされ、羊を養う手紙を書く場所とされ、カイザルの家族と出会う場所とされ、天の御国を紹介する場所、天の御国に行く道としてくださいました。 パウロは、困難な環境に適応する方法と難しい環境を用いる方法を知っていました。難しい環境を祝福の環境とする方法を知っていたのです。
苦しみを最小限に受ける方法 パウロは人間関係に苦しんでしました。パウロの周りには、彼を苦しめる人々がいました。「ねたみや争いをもって」(ピリ 1:15)いる人もいれば、「投獄されている私をさらに苦しめるつもり」(ピリ 1:17)の人もいました。 苦しめる人が周りにいると、苦しいばかりです。彼らは非常に戦略的です。投獄されて苦しんでいるパウロを、さらに苦しめるために党派心をもってキリストを宣べ伝えました(17節)。では、パウロは、どのように苦しみを乗り越えたのでしょうか。
苦しみがあることを認める 人生の問題は、人生に対する間違った期待から来ることがあります。自分の人生は大変で困難なものであってはならないという間違った期待です。私を苦しめる人がいてはならないと考えるのです。それは、非常に間違った期待です。人生とは、私たちが経験したとおり平坦なものではないからです。怒りや失望、挫折などは、この間違った期待から来ることがあります。 人生に対して正しく認識することが、知恵です。人生は難しいものであると知り、それを認めることです。生きていると、避けられない苦しみが訪れ、私たちを苦しめる人も存在するということを受け入れてください。そうすれば、人生は思っているよりも苦しくなくなります。避けようとするよりも受け入れることで、苦しみを減らすことができます。 私の人生でも、苦しみが重なったことがありました。なぜこのような苦しみが牧師である私に一度に訪れるのだろうと、ひどく悩み苦しんでいたとき、スコット・ペックのことばが助けになりました。「人生は難しいものだ。これは、人生の真理の中で最も大いなる真理である。このような平凡な真理を理解し、受け入れるならば、人生はもはや難しくなくなる。これは大いなる真理である。つまり、人が人生は苦しいものだと知ったとき、そして、これを理解し受け入れることができたとき、人生の問題の答えを自ら出すことができるのだ。」 これは、だれもが知っている真理ですが、忘れてしまうものでもあります。私は、人生は難しいものだということを認め、受け入れたとき、自由を感じました。だれにとっても人生は難しいもので、苦しいものです。それを認め、受け入れる瞬間、不思議な自由を感じることでしょう。
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