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ディアスポラ日本人
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主イエス様の愛 |
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ランバート・千絵子
私は、1989年の8月に、4ヶ月間の英語の勉強のためにアメリカに行きした。そこですばらしいクリスチャン男性と知り合い、結婚をしました。もちろん、彼は、私がクリスチャンになるまで待っていてくれ、それまではデートもしたことがありませんでした。私の日本の両親は、とても信仰強い浄土真宗大谷派東本願寺の仏教徒で、父親はお経も読みました。私たちが日本に帰るたびに、「仏壇のご先祖様にあいさつをしなさい」と強制的に言われました。「ご先祖様があってこそのお前なのだから、ご先祖様に感謝をするべきだ」と言う父に、私が「そのご先祖様を創ったお方はどなただと思うの」と言っては、言い争いになりました。 主イエス様に両親を救ってくださるようにといつも祈っていましたが、イエス様や聖書の話をするたびに、あまりにも言い争いが多いので、「こんなに頑固な人間は話にならない。もう彼らのことはあきらめよう」と両親の救いの祈りをやめていました。 ある時、母が病気になったとの連絡がありました。私は驚きましたが、心から喜びを感じました。それは「これは主のご計画。この時が母を救ってくださる時だ」との確信があったからです。 日本に帰り、母の見舞いに病院へ行って母に会うと、今までの母とは全く違う人格を持った人がそこにいました。大声で叫んだり、人に嫌なことを言ったりするのです。私は、大声で叫ぶ母の口をそっと押さえたことが何度かありました。あまりにも違う人物になってしまった母を見るのがつらく、ある週末には2時間離れた親友の家に遊びに行きました。その時です。主が母に現れてくださったのは。 土曜日の夜、母は大声で叫び続けたそうです。夜中に親戚から連絡があり、日曜日の朝早く病院に向かいました。母に「昨日の夜中に大声で叫んだんだって?どうしたの?」と聞くと、母は少しずつ話をしてくれました。 「部屋(8人の相部屋)にいると、いきなり目の前が真っ白になって何も見えなくなってしまったの。『今夜、死んでしまうんだ』と思ったら恐くてならなかったわ。そして、『どうせ死ぬのなら、自分の家で死にたい』と強く思い、恐ろしさも加わって叫ばずにはいられなかったのよ。」 私は、主イエス様のことを持ち出すと必ず大げんかになるので、イエス様のことを持ち出すのをためらいましたが、ゆっくりと「死ぬのが恐かったら、主イエス様に祈ればよかったのに。彼は偉大な力をお持ちの方だから、きっとその恐怖を取り除いてくださったでしょうに」と言うと、母は静かに「イエスさんに祈ったよ」と言うのです。私が「で、どうだった?」と聞くと「祈った後は、一瞬で恐怖が消えて、平安が訪れたわ」と言います。「良かったね」と言うと、「そればかりではないわ」と話し続けるのです。 「大きな洞窟に、何人ものボロ服を着た人がいたわ。『ここは**神社ですか?』と近くの人に聞くと、『いいえ、違います』という答えが返ってきたの。ずっと奥に入っていくと、たくさんの人の真ん中に、白い衣を着た、茶色の髪の毛が肩まである、ひげをたくわえた人が立っているのが見えたわ。すぐに母さんは『先生だ!』と走り寄って、『私の娘も、娘婿も、婿の家族もあなたを崇拝しています』と言ったわ。すると、先生が『知っています』とゆっくりと言われたの。」そして、先生(イエス様)が『千絵子はこれをしたね。あれもしたね。あの子は良い子だね』と私のことを母に話してくださったそうです。私は、両親が結婚してから10年以上経って、やっとできた一人っ子です。その母親にとって、娘のことを言われることが、何よりの喜びであることを主イエス様はご存じで、私のことを話すことで母の心を開いてくださったのだと信じています。 私は、恐る恐る母に聞きました。「主イエス様は、本当に母さんを愛してくださっているのよ。母さんの死の恐怖を取り除いて、夢にまで現れてくださったわ。主イエス様を自分の神、救い主と受け入れてみない?」すると、母は「受け入れたい」と答えました。もちろん、母は、主イエス様にどうやって祈るかを知らないので、母の代わりに私が祈りました。母は両手を会わせ、うつむいて私の祈りを聞いていました。祈り終わって、「おめでとう。母さん。主の民に加えていただけたよ」と言うと、母はうつむいていた顔をそっと上げました。「こんな母さんでも受け入れてくださるかね。」「心から祈った人は、一人残らず受け入れてくださるんだよ。主イエス様は、愛の神様だもの」と私が答えると、とても喜び、「千絵子。聖書を読んで!」とベットの上に座り直しました。私が聖書を開いて読もうとすると、絶えずあふれ出る涙のせいで読むことができませんでした。その後も主イエス様は、何回も母の夢に現れてくださり、聖書の教えをさとしてくださいました。母は、叫ぶこともなくなり、いつもの母に戻りました。 母のからだはどんどん弱くなりましたが、母は死が近づいているとわかっていても、死の恐怖はありませんでした。むしろ喜びで満たされていました。 母が亡くなってから、父は教会に通いだしました。「父さんは、死が恐い。母さんの強さはどこから来るのだろう」と不思議に思ったのだそうです。そして、母が亡くなって1年後に父も主イエス様に救われ、クリスチャンになりました。「今まで気づかなかった小さなことが見えてくる。本当に感謝で喜びがたえない」と言っていた父も、今は御国にいます。 私たちは愛もなく、忍耐もない愚かな人間です。でも、そんな愚かな人間の愚かな祈りを、私たちが見捨てた祈りを、愛の神である主イエス様は覚えていてくださるのです。 今、愛する人のために祈っておられる方、あなたの祈りは決してむだにはなりません。主イエス様が、その人を救うご計画をされなければ、どうしてあなたの心に「その人のために祈る」という心を入れられたのでしょうか。偉大な力を持たれ、底知れない愛を持たれた神、私たちの主イエス・キリスト様に期待しようではありませんか。
子どもたちの証し 私はアメリカ人の夫と結婚し、長男18歳、次男15歳、三男12歳、四男11歳、長女10歳、次女5歳、五男4歳、三女3歳と、8人の子どもとアメリカに住んでいます。 長男は大学生で、家から離れて大学の寮に住んでいます。今年の6月、長男がメンフィスの宣教旅行に行きました。その証しを分かち合いたいと思います。 宣教旅行のチームに、ライアンという子がいました。長男と同じ教会なのですが、「キリスト教は、この世をダメにする。神など存在しない」と言って教会に来なくなりました。長男はこの1年、ライアンのことを祈り続けていました。ですから、メンフィスに着いても、彼にいろいろと話しかけました。その宣教旅行の最中、夕食をしていた時に、ライアンが一人で座って、外をじっと見ていました。すぐに長男はそばに行って「どうしたの?話したいことでもある?」と話しかけました。 ライアンの両親は離婚をし、母親はすばらしいクリスチャン男性と結婚をし、今私たちの教会に来ています。しかし、父親は…。「父親なんかに会いたくない」と、ライアンは言い続けていました。その父親が住んでいる街が、メンフィスなのです。 彼は、ほほから首にかけて大きな赤いあざがあります。そのために、小さい頃からからかわれてきました。いじめられていたことや、父親のことを思い出し、何とも言えない気持ちになっていたのでしょう。長男がそばに座って話しかけると、ライアンは泣き出しました。「だれからも全く愛なんて感じない。ぼくはひとりぼっちだ」と言いながら。 長男はライアンの手を取り、彼の言うことを一つ一つ祈っていきました。「ぼくたちを見て、人が何と思おうがかまわない」と思って、ライアンの手を取り、彼の背中をさすりながら必死に祈り続けました。そうして1時間ほど、ライアンは泣き続けたそうです。 次の日、キャンプ場でライアンはこのように聞きました。「どうして、チームリーダーときみは、ぼくに愛をわけてくれて、どんな時にでもそばにいてくるんだい?」「それは、ぼくの愛ではなくて、主イエス様の愛なんだ。イエス様が心におられなければ、できないことだよ。」二人は、そこで長い間話をしました。 その次の日の朝、ライアンが「クリスチャンになりたい」と長男に言いました。そして、二人で、罪を悔い改める祈りと、イエス様を心に受け入れる祈りをしました。その夜、祈りの集いで、ライアンがクリスチャンになったことをみんなに告白し、みんなの前で「クリスチャンになった証し」をしました。その証しの最中に聖霊様に触れられ、彼はひざまずいて大きな声を上げて泣いたそうです。もちろんずっと祈ってきた長男も声を上げて泣き、そこにいた仲間たちも涙を流しました。そして、宣教旅行に持ってきていた「この世に神など存在しない」という内容の哲学書を、みんなの前で燃やしました。 宣教旅行から教会に戻ると、ライアンの母親と義理の父親が教会にいました。そして、息子がクリスチャンになったことを聞いた母親は、「あの子のことをずっと祈ってきたのよ。本当に嬉しいわ」と涙をポロポロ流したそうです。ライアンも家に帰って、神様との交わりや長男と話し合ったことを話しました。そして、たくさんの哲学書(無宗教の本)などをすべて焼いたそうです。 人が一人救われる(クリスチャンになる)と何物にも代え難い喜びを感じます。
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