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ディアスポラ日本人
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世界最後の大市場 日本 |
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International Japanese Christian Church (IJCC) ビジネス牧師 ● 中林義朗
アメリカで石を投げたら弁護士に当たると言われ、中国で石を投げたら社長に当たると言われるそうですが、日本で石を投げてクリスチャンに当たる確率はと言うと、わずか1%以下です。しかし、発想を変えてこの日本を見るならば、そこは神様が目的を持って今まで残してこられた世界最後の宣教地、まさに国民の99%が対象となり得る宣教大市場です。「ビジネスマンのあなたが生涯をかけるべき仕事、それは『世界最後の大市場、日本』を視野に入れて、わたしを宣べ伝えることです」と主から召しを受け、昨年私が47歳にして導かれた天職は「ビジネス牧師」でした。
生い立ち、そして不安との戦い 1963年に静岡県御殿場市に生まれた私は、富士山の麓の大自然の中に両親の愛にはぐくまれ、平穏で幸せな幼少期を過ごしました。私の心のラブタンクは常に満杯でした。そんな生活を変えたのは、母(享年42歳)の病死でした。それは、10歳であった私の心に生まれて初めて「不安」という恐怖が入り込んだ瞬間でした。母の死後、仕事と養育のバランスを悩み抜いた父は大阪に移り住み、私は横浜の伯母の家に預けられ、実質親子の別居生活が始まったのです。仕事に忙しかった父の決断を頭では理解しつつも、当時の私は「親父は自分より仕事を選んだ・・・」という子どもながらの傷が心から離れず、かわいがってくれた伯母夫婦には見せられなかった心の奥底のラブタンクは空っぽでした。以来、空になったタンクを満たそうと、さまざまな努力を試みました。中高時代はバスケットボールに狂い、高校卒業後渡米してからはテニス、ゴルフなどに狂い、就職後はひたすら仕事に狂い、少し成功を手にすると日本人ビジネスマンの典型をまねて、酒、タバコ、カラオケ、ゴルフに狂う日々を送りました。しかし、空のラブタンクはどんな行い(Doing)によっても満たされることはなく、一時的に解消されたように見える不安も、押し寄せる波のように私を襲い続けていました。 天国と地獄を見た男 多くの日本人と同じく無宗教であった私は、「人生は自分の努力で切り開くもの」と信じて、家庭を犠牲にして仕事に全力で打ち込んでいました。その努力が報われ、1993年29歳にして中国の合弁会社社長に就任し、数人でスタートした会社は中国経済開放政策に後押しされ、5年後には、1000人の社員を雇用するまでに急成長しました。分刻みの予定をこなし、中国各地に出張に出ることも多かった私には、運転手、通訳、秘書が常に身の回りの世話をしてくれていました。家事をするお手伝いさんもいました。お金に何の不自由もない生活です。が、そんな「この世の天国」のような生活に満足できなかったのがクリスチャンファミリーで育った妻のタマーでした。「お金があるんだから何でも好きなものを買えば?」と言っても、いつも不機嫌でけんかが絶えず、私には、妻が何を考えているのか皆目見当がつきません。そんな私のために、タマーはひたすら忍耐強く、毎日祈り続けていてくれました。 ところが、そんなある日、妻タマーのハワイの実家からこんな連絡が入りました。「ハワイ王朝より受継いだ家族の所有地(10万坪)を再開発し、事業経営を始めるにあたり、是非ハワイへ戻って社長として手伝って欲しい。」せっかく中国である程度の成功を収め、これからという時にどうすべきか真剣に悩みましたが、タマーの希望、子どもの教育、自分の健康などを考えた結果、中国の会社を辞め、ハワイへ戻ることになったのです。1998年ハワイ到着後、さっそく事業計画の作成に取り掛かりました。しかし、明日、来週にはと、言われながら、約束の資金が1年経っても動かず、その当時、まだクリスチャンでなかった私は、「何のためにハワイへ帰って来たのだろう!」と葛藤の毎日でした。そんな私に、元牧師であったタマーの父ボブは「ひるむな!神様が約束されたことは、必ず神様のタイミングで動く!」と言い続けます。仕事を探すこともできず、収入が皆無のまま3年半という日々が過ぎていきました。預金も底をつき、金銭的には中国にいた頃と比較すると、天国と地獄ほどの差があったかもしれません。しかし、今思い返せば神様の計画であったと信じます。もし資金が予定通り動いて、この世の地獄のような試練の期間がなければ、きっと私が神様に向き合うこともなかったかもしれません。 私たち家族が中国からハワイへ戻り、新しい生活をスタートすることとなった当時、ハワイではLIFE LINE(クリスチャン番組)が日曜日の夜10時から放映されていて、ある晩、当時のInternational Japanese Christian Church(IJCC)の三橋恵理哉牧師が語られた神様のメッセージに心を打たれ、もっと話を聞いてみたいとの思いからIJCCの戸を叩くこととなったのです。その後、さまざまな聖書の教えを聞き知るうちに、「人生は自分の努力で切り開くもの」という教えの間違いに気付かされたばかりでなく、私たちには来た場所があり、帰る場所があること、寄留者として滞在中にこの地上で課せられた使命がそれぞれにあることを聞き知るに及び、この世で生きるために思い悩んでいた多くの不安が吹き飛びました。 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」(ガラ 2:20)。 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」(ヨハ 8:31~32)。
父なる神の愛に満たされたラブタンク 1999年2月16日、私は元牧師の義父ボブから洗礼を授かりました。振り返ってみると、表面上はこの世の天国のような、しかし不安だらけの中国での裕福な暮らしにおいても、ハワイでの一寸先も見えないこの世の地獄のようなどん底生活の中でも、常に私の心に愛を注いでくれていたのは、妻タマーでした。そして、その愛はじつは彼女から出たものではなく、彼女の両親から継承された父なる神の無条件の愛であったことに気付かされたのです。 こうして、私は自分の努力(doing)で何かを達成しなければと追い立てられる生き方から解放され、主につながる存在(being)に安らぐ自由を恵みによっていただくことができました。すると、父なる神の愛に心の傷がいやされ、本当の意味で私のラブタンクが満たされました。さらに、キリストの贖いによって永遠の別れ寸前であった父との親子の関係も修復されました。ハワイの地に父を迎え、その父も救われ、神の家族の一員としてともに奉仕できるという、まさに神を体験させていただく幸いをも賜りました。 やがて、残された生涯を多くの人々のいのちの救いのためにささげたいとの思いは、私を献身に導きました。現在、私たち家族(父と8人の子どもとタマーと私)は、親子三世代で、International Japanese Christian Church(ホノルル・ハワイ)で喜んで主に仕えています。主は、かつて中国で経験した偏った成功(この世の天国)ではなく、神様との親密な関係、夫婦関係、親子関係、そして健康、仕事、教会奉仕など、すべてバランスがとれた本当の成功(成幸)を恵んでくださったのです。 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使 16:31)。
献身へと導かれた聖句 「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」(マタ 6:31~34)。 「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」(Ⅰペテ 4:10)。 「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」(Ⅰペテ 5:6~7)。
祈りのリクエスト * 世界最後の大市場、日本の救いのために、ハワイの地から関わっていけるようにお祈りください。 * ここハワイには、日本全国、世界各国から多くの人々が訪れます。日本では絶対に教会へ行かない私のような人々が、ハワイで教会に足を運び、心を開き、日本に帰っても教会に導かれますように。 * この世の成功に魅せられ、頑張り、挫折し、イエス様と出会い、バランスの取れた本物の成功(成幸)が見えてきた経験から、特に、働く人々とその家族の救いのために、ビジネス牧師がインターネットを通しても「福音」を語らせていただきます。主に用いられますようにお祈りください。
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