市橋隆雄 ● KYUNA CHRISTIAN FELLOWSHIP
「何をするかでなく、誰のために生きるのかを求めなさい。」浜松聖霊福祉事業団の創設者である長谷川保先生から言われたことばです。結婚して間もない頃でした。「神様は私たちに何をしろと言われているんだろう」とずっと妻と祈り合ってきていました。「何をするか」でなく、「誰のために生きるのか」、目が開かれる言葉でした。私たちの祈りは「誰のために?」というものに変わりました。祈りの中で、神様から、「アフリカで出会ったあの人たちの所へ行け」との呼びかけを聞きました。その時、ケニヤ宣教のビジョンがはっきりと与えられたのです。 1988年9月半ば、次男を宿した妻、長女、長男とともにナイロビに降り立ちました。そして、デイスター大学、聖書宗教学科の専任講師としての働きが始まりました。内戦、飢餓、貧困の中で国の復興に苦闘するアフリカの国々からの留学生がクラスに大勢いました。彼らはみな、教会の指導者たちでした。それぞれの国の重荷を分かち合い、祈り合いながら、授業を進めました。 並行して、スラムの教会での奉仕を始めました。東アフリカ長老教会の協力牧師として人口50万のスラムの中の3つの教会での牧会と伝道に携わりました。妻とともに幼児教育、職業訓練、訪問カウンセリングのプログラムを立ち上げました。 また、ワールド・ビジョン・ジャパンの協力員として働かせていただきました。ケニヤ北東部の砂漠地帯における難民援助事業(貯水池ダム建設、移動診療所、農業振興)、ついで、内戦後のルワンダでの農業復興事業(共同組合、婦人グループ組織、農機具供与)に関わりました。加えて、日本語による聖書の学びと、交わりの会を赴任直後から続けていました。 スラムの人々と100%ともに生きるという生活ではありませんでしたが、神様のご計画はパーフェクトです。赴任してから最初の10年間は、恵みに満ちあふれた訓練の時でした。まだ見えない、用意されたわざに用いられる器となるために、また、アフリカで生きることに練達するために、何に取り組むべきかを見極めるために備えられた時でした。10年間、アフリカのさまざまな現実の中に生きる人々のもとへ連れ出され、行き巡らされ、喜びとともにその奥にある悲惨と苦悩を見させられました。 神様は10年間の訓練を通して、ケニヤの人々とともに生きるために「教育」に取り組むべきことを示してくださいました。1998年1月、キューナ教会、キューナ幼稚園が設立されました。10年来の友人であったバエ夫妻が同労者として歩み始めてくれました。 私たちはこれまで、かしらであるキリストの大宣教命令に生きる教会となること、助けを必要とする人たちとともに生きる教会となることを目指して、歩んできました。国籍、教派的背景、生活レベルが違う人々の群れです。現在取り組んでいる最も大きな働きは、近隣のスラムに住む人たちのための教育プロジェクト、「コイノニア教育センター」です。 低所得、失業家庭の大人、青年、幼児が貧困の中から、希望を持って、生活向上のために、自ら意欲を持って取り組むことを助け、ともに新しいコミュニティを形成していくことが目標です。 具体的には、幼稚園から高校卒業までの一貫教育、職業訓練、公衆衛生、健康管理、医療サービスを提供します。コイノニア教育センター幼稚部、小学部は現在75名が在籍しています。ホーム・スクーリングから開発された「ACE」のシステムを導入して一年経ちました。受験に焦点を合わせた従来の教育システムの中にいれば、落ちこぼれて当然の、大きなハンデを背負ったスラムの子どもたちが輝き始めてきました。ほかの誰と比べられることもない、自分で目標を決め、自分でやり方を考え、理解するまで先生に関わってもらえます。勉強の楽しさを知り、達成感を味わい、自信を持って物事に取り組むように変わってきました。 この教育センターのモットーは、「それでも人生にイエスと言おう」です。ナチスの強制収容所でガス室での死を前に、ユダヤ人たちが歌った歌の一節です。フランクルの著書のタイトルにもなっています。「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。・・・私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリ 4:11~13)と言ったパウロの信仰を、スラムの人々とともに生きていきたいと願っています。
| 祈りの課題 | 1. 新しく、コイノニア教育センターを建設する土地が取得できるように。 2. 土地取得と校舎建設のための資金1億円、そのキャンペーン、「100万人が100円を」の展開のために。
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