韓国 全州大学校 総長 ● 李南植
韓国に入ってきた最初のプロテスタントの宣教師として、アメリカ人のアンダーウッド (1859~1916)を挙げることができます。アンダーウッドは1884年に神学校を卒業し、牧師按手を受けました。神学校在学時代にインド宣教の情熱を抱いたアンダーウッドは、1年間医学を学び、フランス語、ドイツ語、ラテン語などの外国語を身に着け、実践的な宣教のために配管工の訓練まで受けました。ところが、アンダーウッドの考えが変わります。アメリカ北長老派教会の海外宣教部が韓国に派遣する宣教師を探しているが、志願者がいないという便りを聞いたからです。アンダーウッドは韓国に行くことに決心し、1884年7月28日にアメリカ北長老派教会の海外宣教部に派遣され、1885年1月に日本に向けて出発しました。すでに日本に対するアメリカの宣教が活発に展開されていた頃でした。アンダーウッドは日本に滞在しながら、韓国宣教の準備をしました。驚いたことに、アンダーウッドは、1885年4月5日に韓国に到着したとき、韓国語に翻訳された『新約馬可伝福音書諺解』という聖書を携えていました。どのようにして当時このようなことが可能だったのでしょうか。その背後には、李樹廷(1842~1886)というひとりの人がいたからです。 李樹廷は、弘文館(朝鮮時代、宮中の文書を管理し、王の諮問に応じる機関)の校理(文書の校正を行う高位官職)出身の官僚で、壬午軍乱の際、明成皇后を危機から救った功労として高宗皇帝の特別な配慮により日本に遊学することになります。日本に来た時、友人の農学者安宗洙(1859~1896)から、日本の有名な農学者でキリスト者の津田仙(1837~1908)を紹介されます。津田博士は、日本人初のメソジスト派信者で、アメリカメソジスト監理派教会の宣教師ジュリアス・ソーパー宣教師から妻、子どもとともに洗礼を受けました。李樹廷は、日本に到着するとすぐ津田博士のもとを訪ね、漢文聖書をもらって読み、聖霊の感動を受けます。津田博士の導きで、1883年4月29日に韓国人として初めて東京露月町教会(現在の芝教会)で安川亨牧師より洗礼を受けました。 李樹廷は、その年の5月8日から5日間、東京で開催された「全国基督教徒大親睦会」で韓国語で代表祈祷までします。李樹廷は、聖書の翻訳が宣教において最も重要であると考え、アメリカ聖書協会のルーミスとノックス宣教師の助けで、横浜で『新約馬可伝福音書諺解』を6,000部出版します。それのみならず、アメリカ北長老派教会の海外宣教部に韓国にも宣教師を派遣してくれるように請願する手紙を送った結果、アンダーウッドとアペンゼラー宣教師が韓国に派遣され、彼らは日本で李樹廷に会って韓国語を学び、1885年4月5日李樹廷が翻訳した聖書を携えて韓国の地に到着するに至ったのです。 これが韓国にキリスト教が本格的に伝えられる宣教の始発点となり、このような契機を設けるうえで、津田仙博士が李樹廷を伝道したことが決定的な出来事となったのです。もしこのような出会いがなかったならば、アンダーウッド宣教師の韓国派遣や聖書の翻訳も実現されなかったかもしれません。19世紀末の日本では、数百人もの外国人宣教師たちがアジア全域で宣教の範囲を広げていく足場の役割をしていました。このように、韓国の福音化において日本が足場となったという事実を多くの人々が忘れ、ましてやこのような事実が日本のキリスト教界にどれだけ知られているかわかりません。 神が用いられるひとりの人が歴史を変えるのです。津田仙博士のような信仰の先達たちが日本にいたことを日本のクリスチャンたちは誇りに思うべきであり、韓国は日本に信仰の借りがあるのです。今、日本のキリスト教のリバイバルに影響を及ぼすことのできるひとりの人を神は捜しておられます。日本に向けられた文化宣教の機会であるラブ・ソナタ が一つの契機となり、日本に対する神の愛がまだ神を信じていない日本の方々に知られる転機になることを切に願います。パウロの宣教を通してキリスト教のリバイバルが起きたように、今、日本の教会が宣教と交わりを始めるならば、日本だけでなくすべての国々に福音が伝えられ、大きなリバイバルが起こることでしょう。すべてのことが備えられて成長する時まで待つよりも、今すぐに宣教と交わりを始め、日本の教会を通して神の驚くべきみわざが起こることを願ってやみません。 振り返ると、韓国の福音化はアメリカ人宣教師を通して起こりましたが、その背後には日本の津田仙博士や李樹廷のような人々を用いられた神の愛があります。今、神がそのひとりの人としてあなたを呼んでおられます。あなたに対する神のビジョンを期待してください。日本が大きく用いられる神の道具となることを信じて疑いません。
イ・ナムシク(李南植) 1955年6月13日生。ソウル大学校農学部農学科(学士)、KAIST産業工学科(修士)、KAIST産業工学科(博士)、米国Bloomfield大学名誉博士。現在、全州市地域革新協議会共同議長(2004. 5~)、全羅北道発展協議会議長(2007. 3~)、全州大学校総長(2003. 4~)。
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