下田祥之 ● 恵泉キリスト教会
恵泉キリスト教会から宣教師としてペルーに派遣された下田祥之です。ペルーに行くことになったのは、2002年10月末にエジプトで開かれた世界宣教会議に参加したときに、ペルーから来ていた極貧の孤児院で働く伝道師と出会い、チャレンジを受けたことがきっかけです。「主よ、もし私がペルーへ行くことが御心ならばしるしをください」と祈り、帰国しました。その週の日曜日に「日本からペルーへ行く宣教師と結婚し、ペルーへ帰り、主に仕えたい」と祈っていたペルー人クリスチャンとの出会いが与えられました。そうして結婚したのが、現在の妻リリーです。そして2007年1月に約束の地、ペルーへ着きました。結婚後、娘の憐を授かり、現在5歳です。 私は、リマ市内から砂ぼこりの舞う道を車で45分ほど内部に入ったヌエボ・パライソという100戸ほどの集落で活動しています。現地人のレデル牧師とともに教会開拓をしていて、メンバーは大人約30人、子どもは約20人です。主日礼拝と火曜日、木曜日の聖書勉強を導き、そのほかに子どもたちの日本語クラスで教えています。これは10年後に子どもたちを宣教師として日本へ送り出すための準備です。「ヌエボ・パライソ」は「新天国」という意味なのですが、地図上では空白地となっており、周囲からは「見捨てられた地域」と呼ばれています。学生相撲出身で体力に自信のあった私は、渡航以前は「どこでも住んで、何でも食べれる」と思っていたのですが、いざこの場所に来てみると、自分の無力さを思い知らされました。電気は十分ではなく、給水車が2週間に1度売りに来る水を各家庭がドラム缶のようなタンクに買い溜めて、食事や洗濯などすべてこの水でまかないます。買ったばかりの時は良いのですが、日が経つにつれて水に砂が混ざり、虫がわいたりして非常に不衛生です。信徒の方々に食事に招かれ、その水で用意された食事を前に覚悟を決め、祈ってから食べるのですが、何度も激しい下痢や高熱に襲われ、またコレラも体験しました。現地人は食べてもなんともないのですが、温室育ちの日本人である私には免疫がありません。そのおかげで、こちらに来てから10㎏以上やせましたが、相撲で蓄えた余分なものを落とすことができ、それはそれで感謝しています。こうして神様の恵みの中で2年半伝道し、小さな会堂もでき、地域に住んでいる約100家族すべてに福音を伝えました。ですから、今は別の場所に新しい教会を開拓したいと祈っています。 私は「エデン・プロジェクト」というビジョンが与えられています。主は創造のときに、人間が育つのに最善の環境である「エデンの園」を備えてくださったように、ペルーの貧しい子どもたちが育っていくために必要な環境「エデンの園」を主ご自身が回復したいと望んでおられることを感じ、この名前にしました。数ヘクタールの土地を手に入れ、教会を開拓しました。また、学校に行けない子どもたちのための教育施設や、必要な医療を受けることができるような診療所、極貧地域の子どもたちや見捨てられた子どもたちが将来泥棒や売春をしなくてもすむような職業訓練所を立て上げ、自活できる施設を造りたいと祈っています。エデンの園で育った子どもたちが、やがて宣教師として全世界に遣わされていくことを目指しています。「そんな簡単にできっこない」とは、よく言われます。私自身厳しい現実を体験し、よくわかっています。しかし、私は神様に「ペルーに行きなさい」と言われ、一生住むつもりで31歳の時に渡航しました。「神様が生かしてくださるなら、あと50年奉仕できる、50年あれば何かできるだろう」と思って働きを始め、早くも3年が経とうとしています。どうぞ、私たち家族とエデン・プロジェクトを覚えてお祈りください。また思いが与えられた方はこちらにいらしてください。家族で大歓迎です。皆さまの祈りが、ペルーの荒地を緑豊かなエデンの園へと回復させ、貧しい子どもたちに食べ物を与え、宣教師へと成長させるのです。そうして世界宣教は前進し、やがて大宣教命令達成の日を迎えるでしょう。 空中で主と出会う希望を胸に、さらに喜んで、ともに主に仕えてまいりましょう。私たちも日本のたましいの救いと祝福を、地球の裏側からいつも祈っています。
| 祈りの課題 | 1. 私たち家族の健康のために。 2. 土地の手続きと、その後の開拓のために。 3. エデン・プロジェクトの経済的必要が満たされ、現地人スタッフが与えられるように。
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