リバイバルと信仰の継承
川井勝太郎 ● ルーマニア宣教師
私は1994年からルーマニアの北西部、トランシルバニア地方の中心都市であるクルージュ・ナポカ市で福音宣教に取り組んで16年目になります。初めてルーマニアに来たのは1991年7月のことですから、そこから数えるともう18年近くの活動になります。 共産党とニコラエ・チャウシェスクの独裁政権から解放されたばかりのルーマニアは、たましいの収穫が驚くほど進められたリバイバルの時代でした。共産党に希望を見出さなかった人たちが覚えていたのは、迫害され持ち物や命を奪われても決して信仰を捨てなかったクリスチャンたちの姿でした。自由になったら、必ず教会に行こうと心に決めていた人たちが、みことばに飢え渇いて教会になだれ込み、教会は集会のたびに満席と立ち見の人々で一杯になりました。私がその当時遣わされたのは、共産党時代に指導者を奪われても集会を続けていた農村部の教会や集会を立て上げていくという働きでした。十数人の兄弟姉妹が賛美と聖書朗読で集会を細々と続けていた所に、みことばを伝えに行きました。励まされた兄弟姉妹たちが、やがて使命に燃えて伝道に携わり、会堂を建築して次の牧師を迎えるまでの数カ月の間、ともに生活しながら労苦を分かち合いました。さまざまな苦労以上に、このリバイバルの時代の恵みにあずかり、ほとんどの教会で急成長する人々の姿を目の当たりにして、聖霊の息吹のすばらしさに触れることができたのは、私の宣教師生涯の大きな宝です。実に16年間で20カ所以上の教会の立て上げに関わることができた恵みは、まさに自分で労苦しなかったものを刈り取る(ヨハ 4:38)ために遣わされたというような感じでしたが、すべてを備え導かれる神の御業を体験できたことが私の信仰も大きく変えました。 しかし、2000年を過ぎる頃から急速に資本主義や経済至上主義の影響を受けて、人々の生活が西側と同じようになって来ると、リバイバルや救霊の勢いも失われ、教会の教勢が停滞するようになりました。以前のように人が教会に押し寄せるということもなくなり、最近では日曜日の集会でも空席が目立つようになってきています。出て行って福音を伝えるよりも、教会に押し寄せて来る人たちの対応に追われていた教会が、今伝道の基本をもう一度見直し、学び直しています。若い世代の教会に対する意識も冷めていて、なかなか教会の活動に関心を持ってくれません。社会的な貧富の差も大きく、ある地域では数万人の失業者が貧民屈で生活しているような地域もあり、社会問題になっています。そのような必要に教会が、近年数カ所の孤児院や路上生活者収容施設の援助をして来ました。「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタ 25:40)と主のことばが聞こえてくるようですが、実際には必要は山のように大きく、いつも祈りのうちに自分の力の限界を感じて、いつもただ主だけに拠り頼むことを学ばされています。 近年では、日本文化を用いて人々との接点を見出し、伝道していく文化交流活動を通しての働きも祝されています。今まで教会に来ることのなかった大学の教授や医者、弁護士、議員など、町の文化人と呼ばれる人たちと知り合いになる機会を与えられ、福音宣教にも大きな影響を与えています。今年で9年目になる秋の日本文化祭には、日本を愛する多くのクルージュ市民が集ってきます。美しい日本という国を造られたのも主なる神であると証ししてはばかりませんから、この働きの中からも救われる人が起こされ、将来日本で宣教したいというキリスト者の若者が起こされていることは大きな喜びです。 最後に、祈っていただきたいことがあります。それは、信仰の継承という課題です。ヘブル人への手紙10章32節~34節にあるように、共産党時代に命がけで信仰を守り通した信仰者たちの遺産が忘れ去られようとしています。迫害や戦い、苦難や犠牲を知らない世代が、ルーマニアは特別な神の計画にあずかり、90年代には大きな救霊の機会を通りながらも、現在は全く滞ってしまったことに残念だと思う人も少ないのが現状です。信仰の炎が燃えていたあの時代を継承しながらも、新しい神の御業に期待しつつ、続けてこの地に留まり、すばらしいルーマニアの信仰者たちとともに主の働きを歩ませていただきたいと願っています。
| 祈りの課題 | 1. 2009年から始まったクルージュ宣教センターの働きが軌道に乗り、経済的に霊的にしっかりと立てられ、多くの実を見るように。 2. ルーマニアの教会の成長と新しい霊的なリバイバルが若者たちの間で起こるように。 3. 川井宣教師夫妻と現地スタッフの霊性と健康が守られ、経済的な必要がすべて満たされるように。
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