神に愛された国「日本」 関西聖書学院 学院長 ● 大田裕作
歴史の中の御手 浦賀に黒船が来航した頃(1853年)、英米両国を中心とするプロテスタント教会の世界宣教は日増しにそのうねりを高くし、続々とアフリカ、インド、中国へと宣教師たちを派遣していた。1793年W.Careyがインドに、1807年にはR.Morrisonが中国に、最初の宣教師として足跡を残している。のちに韓国にも多大な貢献をするアメリカ人宣教師J.L.Neviusは1853年、鎖国の日本を右舷に眺めながら、中国へと赴いている。しかしカトリックの布教を頑強に拒み続けた東洋の真珠は、主の目には依然「高価で尊い」ものであり続け、その御手は再びのばされる。キリシタン禁令の高札がまだ立つ横浜に安政6年(1859年)、プロテスタントの使者が降り立つ。
優れた品格と才能 そこからさかのぼること約300年、キリシタンの目に映った日本民族の特質はヴァリニヤーノの『日本巡察記』に詳しい。彼はイエズス会総長宛に「私たちが多数の宣教師を持つならば、十年以内に全日本人はキリスト教徒になるであろう。四旬節以来6ヶ月間に8千人以上の成人に洗礼が授けられた」と日本宣教の将来を極めて楽観的に評価し、書き送っている。 民族のDNAは長い歴史を経てもさほど大きく変わらないのでは、と考える。戦後の復興は先輩方の労苦を抜きには語れない。彼ら気概「必ずきっと夜が明ける」に感謝したい。その努力と工夫と忍耐のDNAは、やがて日本が宣教に大きく踏み出す時に用いられると信じる。
青銅の扉、鉄のかんぬき 今の日本は経済も政治も教育もそして教会の現場も閉塞感一色かもしれない。しかし全能の主の前に難しさだけを長々と述べるのはふさわしくないと思う。困難さを列挙するなら、この50年間空前のリバイバルを経験し続けている中国はわが国の比ではなかった。 ユダヤ民族よりも古い歴史に基づく中華思想と先祖崇拝は社会生活の隅々にまで根を張り、キリスト教は植民地主義と同一視されていた。事実、アヘン戦争後の南京条約の通訳には宣教師が駆り出され、不満が暴発した義和団事件では宣教史上最悪の宣教師虐殺がなされた。しかし、主の御腕は「青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る」(イザ45:2)のである。共産政府樹立も文化大革命も主の御手の支配下に許されたことにすぎなかった。わが国の今の閉塞状態こそ、恵みの主が人々を福音へと招く御手の現われだと考えることができないだろうか。
最終ランナーの一員として ヨーロッパで実力を養った教会はアメリカへと飛び火し、力を合わせて未伝地の宣教に邁進した。主は19世紀の宣教にイギリスを、20世紀にはアメリカを盛んに用いた。そして今や21世紀、バトンがかつての被宣教地であるアジア・アフリカ諸国に手渡されている。韓国が胸のすく快走を見せれば、ブラジルが、シンガポールが、インドが素晴らしく活躍している。中国も中央アジアのイスラム諸国を貫いて福音をエルサレムに返すべく、命がけの献身をしている。そしてこの宣教の最終局面において、主の憐れみによって私たち日本人もレースへの参加に招かれている。最終ランナーとしてのコールを受けているのである。 「最後の一部族まで」をめざしての宣教は以前にも増して国際的なチームワークで前進していく。その際、協調性の良さ、順応性の高さ、忍耐力が必要とされる。私はその時、日本人の特性が宣教の最終ランナーの一員として用いられると信じている。
十字架の福音 神の選びによって私たちが用いられるにあたって、最後に確認したいのは「十字架の福音」に立ち続けるということである。信じさえすればすべてがうまくいく式の繁栄主義や成功神学は福音と相容れない部分が少なくない。心理学やカウンセリングが十字架の位置を占めてもならないし、実生活に即しすぎる実利主義も落とし穴がある。十字架の福音が耳触りよく取次がれ過ぎてはいないだろうか。 パウロはテモテに「みことばをまっすぐに解き明かす」(Ⅱテモ 2:15)「絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」(Ⅱテモ 4:2)と語り、またコリント人には「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならって」(Ⅰコリ 11:1)ほしいと書き送っている。時折、自分の宣教が会衆に迎合し過ぎていないかと反省することがある。そしてもう一度無骨であっていい、十字架しか知らない者となって、罪を赦し、いのちを与え、人を造り変える福音を声高く語りたいと願わされている。 「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Ⅰコリ 1:18)。
大田裕作 1954年三重県出身 21歳で入信、関西聖書学院にて学ぶ(77-81年)、西宮福音教会で伝道牧会の奉仕(82-90年)、神戸ルーテル神学校(90-91年)神学修士 M-Div、インドネシア宣教(西カリマンタン州)(92-99年)、関西聖書学院 学院長(2000年-現在)、日本福音教会 理事、アンテオケ宣教会 国内主事
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